橋百選 |
BRIDGES 100 SELECTION |
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明けましておめでとうございます。
今回は秋田県の橋紹介です。秋田県は、東・南・北の三方を山なみに囲まれ、西は日本海に面しています。山地と山地の間に盆地が開け、山間を縫うように子吉川、雄物川、米代川の三つの大河が西流し日本海に注ぎ、河口にはそれぞれ平野が形成されています。男鹿半島、十和田八幡平、田沢湖など豊かな自然のほか、「大館、角館の桜まつり」、「竿灯まつり」、「火振りかまくら」など四季を通して行事・観光イベントも多く、まさに「美の国あきた」と言われる所以です。ここでは流通の主役は明治半ばまでは河川を利用した舟運であったため、古来からの有名な橋、歴史に名を残す名橋、奇橋はありませんが、取材の旅で特に印象深い橋を紹介させていただきます。(H) |
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コンクリート造アーチ橋(外面は木製煉瓦貼) |
橋長 ● 107.0m(三連橋) 幅員 ● 2.6m |
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横手市の後三年の合戦をモチーフにした「平安の風わたる公園」には雁の形をしたこの橋のほか、合戦の様子を描写した壁画や源義家、藤原清衡、清原武衡、清原家衡のブロンズ像があり、遠い昔の合戦へと想いを馳せることが出来る歴史好きにはたまらない場所になること請け合いです。長閑な風景も堪らない風情でした。
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バスケットハンドル型ニールセン系ローゼ桁橋 |
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橋長 ● 180.0m 幅員 ● 10.25m |
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橋名は中ノ台沢川を挟んだ「羽場」「中ノ台」両集落の頭文字から「羽中大橋」と決まっていたそうですが、日本人女性初の宇宙飛行士、向井千秋氏が数々の宇宙実験で大きな成果を上げられた姿に感動した村内の子供達から「羽中」を「宇宙」に・・・との声が上がり、村の未来の夢と希望を託し「宇宙大橋」と命名されたそうです。橋のたもとに、氏の宇宙服姿の写真と直筆の記念碑が置かれている。
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連続補構トラス木製橋 |
橋長 ● 55.0m 幅員 ● 7.0m+2.0m |
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架設完了時 2001年5月撮影 |
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本橋は世界自然遺産の白神山地や、太良峡への玄関口にありトラス形式は白神の山々をイメージしている。部材は地元の秋田スギを使用し、加工も
県内の企業が担当した。また主桁などの部材は強度を得るため集成材には鋼材が挿し込まれた構造になっている。前回の宮崎県と同じ「地産地消」
である。
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単純活荷重合成鈑桁 |
橋長 ● 56.0m 幅員 ● 18.0m |
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「五城目町」は馬の産地である。橋名の由来にもなっており、馬の姿を抽象化したオブジェが親柱として四隅に置かれている。端の脇には馬城台があり、その下は公衆トイレとなっている。散歩の途中で休んだり、町のシンボル五城目城を眺めたり、住民の憩いの場となっている。取材時も地域の婦人が清掃中でした。
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プレストレスト・コンクリートT桁橋 |
橋長 ● 304.2m 幅員 ● 7.0m+2.5m |
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東京・渋谷の「忠犬ハチ公」はここ大舘生れの秋田犬である。秋田犬はもともと闘犬や猟犬として飼われていたが、飼主に従順なうえ品格と威厳を備えていることから、愛犬家を魅了している。市内には秋田犬をテーマにした銅像やモニュメントなどがたくさんあり、犬都・大館を象徴している。当橋の親柱上に設置された像である。
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5径間連続波型鋼鈑ウェブPC橋 |
橋長 ● 210.0m 幅員 ● 9.7m |
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本橋はPC橋の主桁(ウェブ)のコンクリートを波形鋼板に置き換えたコンクリートと鋼の複合構造で、日本初の本格的な波形鋼板橋である。斬新な設計と景観や環境に対する配慮が評価され、土木学会田中賞や土木学会デザイン賞優秀賞を受賞した。
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2径間連続鋼斜長橋 |
橋長 ● 190.5m 幅員 ● 19.0m 幅員 ● 50.0m |
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住民から「ゆりきょう」と呼ばれ親しまれていた旧トラス橋の老朽化に伴い県内初の斜張橋に架け替えられた本橋は、主塔や欄干をライトアップするなど市民にいつまでも愛され続けられるように工夫されている。下校時の学生達の雑踏にも橋の世代交代が感じられた。
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鋼製6径間連続V脚ラーメン橋 |
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橋長 ● 上り:134.5m 下り:146.4m 幅員 ● 11.2m |
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湯瀬五橋は奥羽山脈と出羽丘陵が形成する急峻な渓谷地帯・鹿角市湯瀬に架かる東北道の大規模な五橋である。当橋のほか八幡平橋、渓谷橋、笹の渡橋、居熊井橋がある。いずれの橋もそれぞれの地形、景観に調和し、特に錦秋の候、国道282号から見える景色は秀逸である。
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PC桁&スラブ版の小橋 |
橋長 ● 14.0m 幅員 ● 1.45m |
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明治14年、当地(能代市二ツ井町)を訪れた明治天皇が下を流れる米代川と対岸の七座山の美しさに感動し「傒后阪(きみまちざか)」という名称をつけました。また、この地で長旅を気遣う皇后の手紙が天皇の到着を待っていたと言い伝えられています。皇后の気持ちを和歌にしたこの手紙は天皇への恋文でした。このエピソードに因んで建てられた「恋文神社」は隠れデートスポットになっている。この「みゆきばし」は名前から察すると明治天皇が渡り初めをされた橋だろうか!?そう考えると感慨も一入である。
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