スポーツにおけるコーチも、選手(アスリート)が目標(金メダルや五輪出場、あるいは国体優勝……などなど)とする場所まで、選手を運んであげるのが役割と言える。
馬車に行き先(目標とする場所)を決めるのはもちろん乗客(選手)で、選手が自分の行き先に向かう馬車を求め、選び、決めるのだ。そのわかりやすい例が平昌(ピョンチャン)冬季五輪で活躍した日本人選手たちで、フィギュアスケートの羽生結弦選手はカナダ人のオーサー氏の指導を求め、スピードスケートの選手たちはオランダ人のコーチを招き、女子カーリングの選手たちもカナダからコーチを招いた。それぞれの競技の強豪国のコーチから指導を受け、メダル獲得という結果に繋げたのだった。
もちろんそれは選手個人だけでやれることではなく、スケート連盟その他のバックアップがあってのことと言える。かつて日本の柔道が世界の最強豪国として金メダリストをほぼ独占していた頃には、世界のトップクラスの柔道家は誰もが東京の講道館に集まり、「世界一」の指導を受けていたものだった。
こういう態勢を創ることを「アスリート・ファースト」と言うのだ。つまり選手を第一に考え、最も良い「馬車」を用意してあげること―それがアスリート・ファーストなのだ。
ところが、「師匠teacher」となると、「コーチ」とは少々存在意義が違ってくる。
日本古来の武芸や諸芸や芸能、あるいは仏教の世界に存在する師匠は、弟子の「芸」を鍛えて完成させ、あるいは「悟り」を開かせるため、目標に向かって進むだけでなく、弟子の全人格や人間性までも磨こうとする。そのため師匠は、弟子の私生活までも管理命令する立場に立つ。剣術や落語や寺院の弟子たちは、師匠の道場や自宅に住み込み、炊飯掃除から師匠の生活の世話までして、師匠の近くで師匠のあらゆる行為を学び取るのだ。
その意味で栄和人氏が、至学館大学の女子レスラーたちと同じ宿舎(アパート)に寝泊まりし、食事を共にするなかでレスリングの指導をしてきたのは、まさに「師匠と弟子」の関係のなかから強豪選手を育ててきたといえよう。そして伊調馨選手が別のやり方を求め、別の「馬車」に乗り換えたのも、より高みを目指す競技者として当然のことといえる。が、その伊調選手の行為は、「師匠と弟子」という関係性を基盤に栄和人氏が作りあげてきた日本の女子レスリング界では、彼自身が言うように「和を乱す行為」だったのだろう。
このような日本特有の「師匠と弟子」的な関係は、レスリングだけでなく、日本の多くのスポーツ界で見受けられる。
たとえば中学校の部活動などでは、ある運動部を辞めたいと言い出した少年や少女に対して「途中で辞めるような奴は何一つきちんとできない奴だ」などと、強いプレッシャーをかけてやめさせない先生が少なくない……という。そんなパワハラの一種がけっこう蔓延しているのは、顧問の先生が自分の指導を否定されたと思い込んでしまう、一種の被害者意識と自己防衛からだと言う。中高校や大学での運動部の「先生と生徒」の関係も、「コーチとアスリート」というよりも「師匠と弟子」の関係に近いかもしれない。
また日本のスポーツ界では、選手がコーチ(技術や戦術を指導する人物)のことを「コーチ」と呼ばずに「監督」と呼ぶことが多い。これは明治時代に欧米から伝播したあらゆるスポーツのなかで、野球がいち早く最も人気を集めた結果と言える。野球は「失敗のスポーツ」とも呼ばれ、一流打者でもヒットの確率は3割程度。だからコーチ(指揮官・指導者)の思う通りには試合は運ばず、選手を気分良くプレイさせるために、フィールド・マネージャー(管理者・監督)が存在する。
サッカーやラグビー、陸上競技や水泳競技には基本的にコーチしか存在せず、コーチの思った通り(選手が目指した通り)の結果が出なかったときは、選手が失敗することもあるが、技術や戦術や体力で相手選手の力量が上まわっている場合がほとんどだ。だから選手はコーチと共に新たな戦術を編み出したり、新たな技術を身に付けるべくトレーニングすればいいのだが、そのコーチのことを日本のスポーツ界では「監督」と呼ぶことが多く、それは「先生」や「師匠」に近い存在とも言える。
栄和人氏が、そんな日本的スポーツの風土のなかで、女子レスリングの「師匠」として、「弟子」たちを世界最多のメダリストに育てあげたことは事実だ。が、それは生まれたばかりで競技人口が少ない競技での快挙、と言う人もいる。だから今後は「コーチとアスリート」の関係への変化が求められる……と。
師匠と弟子か、コーチとアスリートか……、どちらが良い結果を生むかは、ケースバイケースと言うほかないのだろうが、貴方の職場の上司との関係は……はたしてどっち?
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