洪水リスク解析の不確実性について
洪水リスク解析における不確実性の導入
ここでは、洪水リスク解析における不確実性の導入について具体的に説明する。
パラメータやデータの不確実性を示すために、洪水リスクのマクロ解析の計算フローの概要を模式的に図1に示した。計算の流れは、降雨強度曲線から計画降雨(中央集中型ハイエトグラフ)を作成し、それを浸水氾濫モデル(Model
1)に入力してメッシュごとに浸水深を計算する。計算した浸水深を浸水被害算定モデル(Model 2)に入力し、浸水深−被害率曲線と資産の評価額から被害額を計算し、それを対象流域全体で合計して総被害額を計算する。被害額から被害ポテンシャル曲線をつくり、再現期間の確率密度曲線を乗じて洪水リスクコストを算出する。これが計算プロセスのおおまかな流れである。
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図1 洪水リスクのマクロ解析フロー(パラメータの不確実性を考慮) |
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図1には計算の流れとともに、モデル計算における、入力データ、モデルパラメータ、出力データを確率分布で表示してあり、この確率分布によってそれぞれの数値の不確実性を表現している。これらの数値の設定において、知識と情報の収集を行えば、確率分布はより幅の狭い分布となり、それによって不確実性の低下を表現することができる。決定論的モデルでは、入力データもモデルパラメータも出力データも一つの確定的な値として用いる。しかし確率論的なモデルでは、すべてが確率分布をともなったものとなり、その分布特性が<不確実性>の表現となる。
図1においてまず降雨強度曲線からある再現期間をもった計画ハイエトグラフを作成するが、降雨強度曲線も十分な期間の水文データをもとに作成されているわけではない。これまで用いてきた東京都建設局河川部の降雨強度曲線も35年分のデータをもとに50年、100年確率を計算しており、さらに近年の多雨傾向の新たな降雨データが追加されると降雨強度曲線も変化する。浸水氾濫解析モデルの水理計算のパラメータにおいても、不浸透域の割合、浸透域の浸透能、地表面の等価粗度など統計的な平均値を設定するが、それも確定した値ではなく、平均値のまわりに確率分布を想定せざるを得ない。特に、不確実性を検討するにあたり大きな問題として横たわっているのが浸水被害算定モデル(Model 2)である。データのばらつきがあまりにも大きく、これまでの計算ではこのばらつきを認めながらも1本の浸水深−被害率曲線で代表させて被害額を計算した。しかし、このばらつきから容易に推察されるように、計算された被害額、そして最終的に得られる洪水リスクコストはかなりの不確実性をともなったものになると考えざるを得ない。ただ計算するだけならばそれでよいが、この洪水リスクコストを事業評価や治水対策の意思決定において用いるとき、計算された値は確定値ではなく、ある確率分布特性をもったものとして扱うことが求められる。
洪水リスク解析で用いるデータやモデルパラメータは不確実性をともなっている。その不確実性を定量化するには、それらの数値を確率分布をもった変数としてあつかう。確実性の高い数値ほど、その標準偏差は小さくなる。それではそのような確率分布として表現された数値を用いて実際の計算を行うにはどうすればよいか。
よく知られている方法はモンテカルロシミュレーションである。
モンテカルロシミュレーション
モンテカルロシミュレーションは、さまざまな目的で実施されるが、この場合、確率分布をもった入力データから乱数を用いて無作為抽出標本を生成し、それを入力データとしてモデルに入力し、計算した出力結果に入力データの確率分布特性を反映させる方法と言える。入力データの確率分布はデータの特性に応じて適切な分布を設定する。ここでVose[1]をもとに説明する。
いま、入力データが図2左に示したような確率分布(確率密度関数)f(x)をもっているとする。これから累積分布関数F(x)を求めると、確率変数Xがx以下となる確率は、
F(x)=P(X≦x) (1)
となる。ここでF(x)は0と1の間の値をとる(図2右上)。
次にF(x)の逆関数G(F(x))を求めると、G(F(x))は以下の式となる。
G(F(x))=x (2)
ここでF(x)とG(F(x))の関係を図2下に示す。横軸のF(x)は、0と1の間の値をとり、ここで一様分布(0,1)から生成される乱数rを発生させる。図2下の横軸で乱数rに対応する縦軸の変数xを求める操作を繰り返すことで、確率分布F(x)の無作為抽出標本が生成される。
このようにして入力データの無作為抽出標本を発生させた後、そのひとつの値をモデルに入力して計算を行う。入力データが2つある場合は、図3のように、それぞれの確率分布からランダムなサンプルを発生させ、それらをモデルに入力して計算結果を求める。この試行(RUN)をN回(実際には何万回にも及ぶ)繰り返すことによって出力結果の分布が生成し、入力データの確率分布を反映したモデル計算の結果を得ることができる。このモンテカルロシミュレーションの原理は容易に理解できるが、出力結果において確からしい確率分布を得るのに何千回、何万回という試行を繰り返す必要がある。
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図2 モンテカルロ法による変数の抽出 |
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図3 モンテカルロシミュレーションの計算フロー |
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洪水リスクアセスメントの研究において、既存の不確実性分析では、流量、降雨強度曲線、ロス関数、浸水深、被害額、気候変動などが不確実性の発生源とされ、これらの不確実性を反映したリスクアセスメントが実施されている[2][3][4]。しかし、いずれも数万回のオーダーで繰り返し計算を行わなければならず、それがモンテカルロシミュレーションの大きな壁となっている。Vose[1]は、このような困難を避ける手法として、無作為標本抽出をより少ない試行で組織的に行うラテンハイパーキューブ法を紹介している。
米国陸軍工兵隊の不確実性分析
米国陸軍工兵隊の洪水リスク解析は、リスクアセスメントを洪水という自然災害に適用した最初の事例であり、その後の洪水リスク解析の範例となったものである[5]。リスク解析の基本フレームに関しては図4にその計算フローを示した。そこでは3つの曲線を用いて繰り返し計算を行い、洪水の超過確率と被害額の関係を表すリスクカーブを作成し、その曲線を積分して年間被害額期待値EAD(Expected
Annual Flood Damage)を算出する。このEADは本書における洪水リスクコストと等価である。
ただ、図4に示された計算の方法は決定論的なフレームであり、不確実性を考慮した計算フローではない。すでに述べたように、この陸軍工兵隊の洪水リスク解析は、不確実性分析をはじめて洪水リスクの計算に適用したものであり、そこで用いられたモンテカルロシミュレーションは、その後の洪水リスクの不確実性分析の範例となったのである。それでは、図4の決定論的フレームにおいてどのようにモンテカルロシミュレーションを適用したのだろうか。
図5左の3つの図は、上から、洪水流量と洪水確率、洪水流量と洪水位、洪水位と被害の関係を表す曲線である。決定論的方法ではこれら3つの曲線は、それぞれ確定したパラメータをもつ1本の曲線からなる。しかし、これらの曲線を決めるパラメータが不確実性をもち、確率分布をもつ変数であるとするとどうなるか。そこで図5に示したように、それぞれの曲線のパラメータの確率分布から乱数を用いてそれぞれ1個のパラメータの値を無作為に取り出し、3つの曲線を実現させる(realization)。その後は上述の決定論的な方法によって被害額と確率の関係を表す曲線を1本作成する。この曲線を積分すると、この1回の試行によるEAD,すなわち年間被害額期待値が算出される。このように乱数を用いてサンプリングし、膨大な数の3曲線の組合せを生成し、そして被害額−確率曲線からEADを計算する試行を何回も繰り返すことによりEADの確率分布ができあがる。こうして洪水流量、洪水位、被害額の不確実性を反映した年平均被害額期待値EADが計算できるのである。
米国陸軍工兵隊の洪水リスク解析では上述のようにモンテカルロ法によりEADを算出する。ここで図5の計算フローの適用例のひとつを簡単に紹介する。
米国ケンタッキー州、ルイビル市にある流域面積158km2のベアグラス・クリーク(Beargrass Creek)を対象とした解析である[5]。図5左の3つの曲線を過去のデータにモデル計算を援用して作成する。モンテカルロシミュレーションで試行を繰り返し、試行の数だけのEADを算出する。試行を繰り返すに従い、EADの確率分布ができあがっていく。その計算結果を示したものの一部が表1である。 |
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図4 米軍陸軍工兵隊の洪水リスク解析の基本フレーム |
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図5 モンテカルロシミュレーションによるEADの計算 |
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表1 不確実性を考慮しない場合と考慮する場合の年平均被害額期待値(EAD)の計算結果([5]を整理) |
Statistic |
EAD
without Plan |
EAD
with NED Plan |
Expected
Annual Benefits |
Annual
Project Cost |
Net Benefits |
Benefit to
Cost Ratio (B/C) |
Expected
no uncertainty |
3.015 |
0.937 |
2.078 |
0.81 |
1.268 |
2.56 |
Expected with
uncertainty (mean) |
3.998 |
1.684 |
2.314 |
0.81 |
1.504 |
2.86 |
25th Percentile |
* |
* |
1.365 |
0.81 |
0.555 |
1.69 |
Median (50%) |
* |
* |
2.071 |
0.81 |
1.261 |
2.56 |
75th Percentile |
* |
* |
3.054 |
0.81 |
2.244 |
3.77 |
(millions of US dollars per year) |
表1の左上の灰色に塗りつぶした数字は、治水計画NED(National Economic Development) Planを実施しない場合と実施した場合のEADを、不確実性を考慮した場合と考慮しない場合について示したものである。治水計画を実施するとEAD(あるいは洪水リスクコスト)は低下するが、不確実性を考慮するかしないかでEADの計算結果が異なる。実施しない場合のEADはそれぞれ3.998, 3.015 million US$/yearとなり、後者を基準とすると約25%の違いである。また文献[5]には示されていないものの、表中に*で示したところも当然EADが計算されており、2列目から3列目を減じた4列目の数値(Expected Annual Benefits)は確率分布として表示されている。平均値meanのほかに、25th, 50th (median), 75th percentileの数値から分布特性を知ることができる。4列目の値で気がつくことは、まず平均値が中央値より大きいことから分布は非対称であること、さらに75-50th percentileの値の差が、50-25th percentileのそれより大きいことから、分布は正のひずみをもっていることである。
以上のように、不確実性を考慮して計算を行うことにより、モデルのパラメータの不確実性(確率分布)を反映したEADがあらたな確率分布として算出され、平均値のまわりにある幅をもった数値としてEADを得ることができる。このベアグラス・クリークの例では、EADに不確実性はあるものの、それを考慮しても表1最右列のB/Cはすべて1を超えており、NED治水計画の経済性を確認することができる。
洪水リスク解析において不確実性を考慮するとき、モンテカルロシミュレーションは常套的な方法となり、2000年代に入って多くの不確実性分析がモンテカルロ法を用いて進められ、わが国においても、平野ら[7]は、モンテカルロシミュレーションを用いて、水害統計などの既存データをもとに都市域における水害リスク評価手法について検討している。しかし、すでに述べたように、モンテカルロ法を適用するには何万回にも及ぶ計算が要求されるためコンピュータ能力の制約という問題に突き当たる。
洪水リスクと不確実性分析
洪水リスクアセスメントにおいて確率論的モデルを導入したApelら[6]は、不確実性の定量化について検討し、リスクアセスメントの信頼性を高めるためには、不確実性を生じる主要な原因を特定し、その不確実性を減少させるべきであるとしている[2]。そして浸水被害予測における不確実性の定量化についていくつかの有益な指摘を行っている。
- リスクアセスメントにおける計算結果は、これまで伝統的に行われてきた計算値と実測値の比較検証ができない場合が多い。そこで不確実性分析をそれにとってかわる方法とみなすことができる。
- これまでの不確実性分析は、ハザード解析(例えば流出解析など)におけるものが多く、被害額の計算に関するものはきわめて少ない。特に、浸水深と被害率の関係がモデルによって異なると、少しの浸水深の違いが被害額の見積もりに大きな影響を及ぼす。
- 浸水氾濫計算におけるモンテカルロ法の適用は、これまで1次元河道の堤防決壊流出量から浸水域の広がりと浸水深を見積もる簡素なモデルが対象であった。しかし2次元の浸水氾濫解析モデルの計算にモンテカルロ法を適用することはほとんど不可能である。高い計算能力と膨大な計算時間が要求されるからである。
- 驚くべきことに、2次元の浸水深の計算における誤差は小さな不確実性しか生じない。これは浸水深の計算に多少の誤差があっても、そのランダム性によって誤差が平均化され、結果としてほとんどゼロになることが多いからである。
都市の洪水リスク解析における不確実性分析を考えると、まず浸水氾濫モデル(Model 1)における不確実性がある。わが国での先駆的な研究として、すでに佐山ら[8]はモンテカルロシミュレーションを適用して流出モデルの不確実性評価を試みている。ただ対象とするモデルは2次元氾濫解析モデルではなく、また洪水リスク解析という枠組みでの検討ではない。都市の洪水リスク解析において不確実性がより重要となるのは浸水被害算定モデル(Model
2)による被害額の算定である。
Model 1ではモデルパラメータの不確実性がModel 2のそれより小さいこと、また前者の計算結果は実測値やそれに代わるデータによってある程度検証可能であるが、後者の浸水被害算定モデルにおいては実測値に相当するものがないため計算結果の妥当性を検討することが困難であるという事情がある。そのためにも浸水被害算定モデルの計算においては不確実性分析がより重要になる。
被害額算定モデルの不確実性
浸水被害算定モデルでは、浸水氾濫解析で計算した浸水深から、浸水深−被害率曲線によって被害率を求め、それに物件の評価額を乗じて浸水被害額を算出する。このとき浸水深−被害率曲線が少しでもずれると被害額が大きな影響を受ける。評価額の設定も不確実性を含むものであるが、図6にあらためて示したように、この曲線を作成するために収集されたデータにはかなりのばらつきがある。これを1本の曲線で代表させることが通常とられる方法であるが、ここで平均的な1本の曲線の周りに分布している曲線群を想定し、不確実性分析を試みる。
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図6 浸水深−被害率曲線(家庭用品) |
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浸水被害算定モデルにおける浸水深−被害率曲線のロジスティック曲線へのあてはめにより、図6のデータ(x,y)を、X=-x、Y=ln((K-y)/y)によって(X,Y)に変換してプロットしたものが図7である。
ここに最小二乗法で決定した一次式Yと標準偏差の分だけ上下にずらした2本の線Y+s、Y-sを示した。これら3本の一次式を再び(x,y)に変換してロジスティック曲線として示したものが図8である。ここで平均値YからY+s、Y-sの範囲について、確率分布を正規分布と見なせば、ほぼ70%がこの範囲に入ると考えることができる。
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図7 ロジスティック曲線作成のための一次式変換 |
図8 浸水深−被害率曲線(家庭用品)
(標準偏差により不確実性を考慮) |
参考文献
[ 1 ] |
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Vose, D: Risk Analysis - A Quantitative Guide,2nd edition, John Wiley &
Sons, 2000.
(『入門リスク分析』デヴィッド・ヴォース,勁草書房,2003) |
[ 2 ] |
|
Apel, H., Merz, B., and Thiken, A.H.: Quantification of uncertainty in
flood risk assessments, Intl. J. River Basin Management, Vol.6, No.2, pp.149-162,
2008. |
[ 3 ] |
|
de Moel, H., and Aerts, J. C. J. H.: Effect of uncertainty in land use, damage models and inundation depth on flood damage estimates, Natural Hazards, Vol.58, pp.407-425,2011. |
[ 4 ] |
|
de Moel, H.,Botzen, W. J. W., and Aerts, J. C. J. H.: Uncertainty in flood risk assessment: What are its major sources and implications?, Proceedings of the 2nd European Conference on Flood Risk Management Research into Practice (FLOODRISK 2012), Rotterdam, The Netherlands,19-23 November in 2012, 2013. |
[ 5 ] |
|
National Research Council: Risk Analysis and Uncertainty in Flood Damage Reduction Studies, Washington, D.C., National Academy Press, 2000. pp.71-98. |
[ 6 ] |
|
Apel, H., Thiken, A.H., Merz, B., and G. Bloschl: A probabilistic modelling system for assessing flood risks, Natural Hazards, Vol.38, pp.79-100. 2006. |
[ 7 ] |
|
平野淳平,大楽浩司:東京都市圏における水害リスク評価手法の開発,防災科学技術研究所研究報告,第80 号,pp.1-6,2012. |
[ 8 ] |
|
佐山敬洋,立川靖人,寶馨:流出モデルの不確実性評価手法とそのモデル選択への適用,土木学会論文集,No.789 /U -71,pp.1-13,2005. |
『都市の洪水リスク解析 〜減災からリスクマネジメントへ〜』
洪水リスクアセスメントの考え方について、その基本的な理論や手法から、マクロ・ミクロ解析によるリスク評価への応用、
将来的な展望までをわかりやすく解説。
■著者 |
: |
守田 優 (芝浦工業大学 工学部 土木工学科 教授) |
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■価格 |
: |
\2,800(税別) |
■発行 |
: |
2014年11月25日 |
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■出版社 |
: |
フォーラムエイト パブリッシング |
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目次
第1章 |
洪水リスクをめぐって(序論) |
第5章 |
洪水リスクアセスメントとその応用(マクロ・ミクロ解析) |
第2章 |
都市と洪水流出 |
第6章 |
洪水リスクの不確実性 |
第3章 |
洪水リスクアセスメントの基本フレーム |
第7章 |
洪水リスクのアセスメントとマネジメント〜課題と将来 |
第4章 |
洪水リスクアセスメントの手法 |
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