今では、「サイクリストの聖地」の一部をなす島として人に知られる因島ですが、かっては「除虫菊と造船の島」として呼ばれていた時代がありました。若い方には、ちょっと聞き慣れない言葉かも知れませんが、除虫菊とは蚊取り線香の原料になった草花でした。現に私も生口島で過ごした暑い夏の夜、庭の床几でくつろぐ際、枯らした除虫菊を燃やしたものです。その除虫菊の生産高が日本一だったのです。
造船の島といわれたのは、ここに日立造船の因島工場があったからです。戦後の混乱期が過ぎて、日本が高度成長期に入った昭和30年代、日本の産業界を牽引していたのは造船界でした。それを象徴するかのように島には活気がありました。朝夕、近在の島々からの通勤船が造船所のある因島と行き来する光景は今も私の目に焼き付いています。人口が多かったのも造船業に従事する人たちが多かったゆえです。島の人口の何と8割が日立造船に関係していたというのですから、すごいものです。港の近くには、日立造船が建てた病院、百貨店もあり、典型的な企業城下町を形成していました。
造船所そのものは戦前からあったのですが、男衆が居るところ遊郭ありで、そんな時代背景にして因島が小説の舞台になったこともあります。今東光原作の小説に「悪名」というのがありましたが(時代背景は戦後)、これは映画化もされ、勝新太郎、田宮二郎コンビのヒットシリーズになっていたことは、映画のオールドファンには記憶に残っていることでしょう。原作に登場する因島の女親分と渡り合う主人公朝吉の姿を因島でロケしたことが映画で観ることができます。
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