未来を可視化する
長谷川章のアート眼
vol.17

長谷川 章(はせがわ あきら)氏
中国中央電視台CCTVのステーションロゴを始めNHKのオリンピックオープニング(1996)、ニュースタイトル、TV-CMなど数千本の制作してきた長谷川章が、日本人の持つ無常の精神から空間・環境のアーティスティックなソリューションであるデジタル掛軸を発明し今日のプロジェクションマッピングの創始者となった。

 Akira Hasegawa

毎日がはじまり

すべては概念である
世界はさまざまな技術的革命によって拡大され、拡張されてきた。
言語文字革命、印刷革命、産業革命、メディア革命、モバイルネットワーク革命と続き、現在に至っている。
そしてこれからVR革命が起こり、世界はメタバースへと進むのではないかと言われている。

だが、果たしてこれは世界の拡張なのだろうか?

制御できる世界をいくら拡大し、精細化していっても、世界を捉えたことにはならない。
世界の果てにたどり着くことはできないだろう。
なぜなら、世界とは物理的な環境ではなく、概念だからである。
つまり、そもそも世界は我々の頭が作り出した構築物であり、存在しないということだ。

世界と同様、社会も存在しない。
社会もただの概念だからである。
また宗教や神や仏ももちろん存在しない。
それらはすべて私たちの脳が創り出したただの概念である。

すべては概念である
ここで子どもを観察してみよう。
暑い、寒い、空腹、満腹、痛い、くすぐったい、かゆい、眠い……
これらは何かを求めるといった複雑な情動ではなく、ただの身体反応である。
つまり方向性を持たないのだ。
よって赤ん坊は何かを求めているのではなく、ただ生きているのである。
まさに無心と言えるだろう。

大人に成長しても、生活が保証されれば、誰もが赤ん坊と同じく無心でいられるのではないだろうか?

人間のゲーム化
だが成長するにつれ、人間には食欲や性欲、名誉欲、金銭欲など、さまざまな欲望が生まれてくる。
生まれてくるというより、実情はそのように学習されるということだろう。

生物の行動の根本原理は繁殖するためのものである。
動物の世界では最終的に勢力の強いものが繁殖環境を制して子孫を増やしていくが、人間の場合はここに秩序を組み込み、ルールを作った。
それが婚姻制度や一夫一妻制度などである。
繁殖という根本的な行動原理をルール化したのだ。

これが人間社会の始まりであり、世界の始まりである。
環境があり、ルールがあり、競争があり、結果が決まる。
これは何かというと、ゲームである。

つまりここから、人間のゲーム化が始まったのだ。

スポーツはもとより、世界、社会、経済、貨幣、国家、宗教、学校、コミュニケーション、ネットでの言動など、人間のすべての活動はゲームとして捉えることができる。

これらゲーム化の延長として、メタバースでのセカンドライフの到来が予感されているのだろうが、それは革命足り得るだろうか?

答えは否である。

人間のゲーム化
私たちはずっと用意されたゲームで遊んでいるだけのただの子どもである。
公園の遊具を考えてみればわかるだろう。
子どもたちは、誰かが考え、安全に配慮し、景観を損なわないようデザインされた遊具で遊ぶ。
遊具を自分で考えたわけではない。
ただ与えられた遊具を上手く操れたことを誇っているのだ。

私たちはそろそろ子ども時代を卒業しなければならない。
いつまでも、誰かが仕掛けたゲームで遊んでいる場合ではないのだ。
メタバースも同じである。
このままでいけば、メタバースもただちょっと新しいゲームにしかならないだろう。

メタバースを活用するなら、用意されたゲームで遊ぶといった従来の延長線で考えても意味がない。
それではいままでどおり、私たちは、誰かが与えた餌を食べるだけのただの奴隷のままだ。
奴隷がちょっと新しい奴隷になるだけである。
そこに革命はない。

そろそろ私たちは誰かのお膳立てから逃れなければならないだろう。
メタバースに可能性があるとすれば、いままでのような奴隷生活から離脱するきっかけとなること、その一点である。

奴隷から逃れるには
用意されたゲームに没入するという考え方は従来の発想の延長でしかない。
そこに革命はなく、やがてまた別のゲームが登場するだけだろう。
ゲームに没入するという発想では永遠にゲームプレーヤーから逃れられないのである。

ではどうすればいいだろうか?
逆に考えてみるのだ。
逆とは何かといえば、現実からゲームに入るのではなく、ゲームから現実に「出る」ということだ。

つまり、自分が仮想空間のアバターをコントロールするのではなく、アバターが生身の自分をコントロールするという逆転の発想である。

メタバースの私が、現実の私に対しアクションを起こすのだ。

奴隷が主人になる。
これこそが革命であり、メタバースが真に新しいブレイクスルーをもたらす唯一の道である。

人類の解放
この考え方は実現不可能な荒唐無稽なものに思えるかもしれない。
だが、いままで起こった革命も、すべて最初は荒唐無稽だったのだ。
誰もが無理だと思ったことを起こすことが革命なのである。

もっと言えば、これは意識の変革をもたらし、人類を解放する考え方かもしれない。
なぜなら、これはメタバース上のもう一人の私と出会う初めての体験だからだ。

私たちは生涯、自分の目で自分の背中を見ることはない。
私たちは私たちの本当の姿を見ることはできない。
だが、メタバース上の私はそれを可能にする。

その私は、私からは見えない本当の私なのだ。
つまり、これはもう一人の私、本当の私との人類史上初めての出会いなのである。

私たちはそこに、時間と空間の束縛からの解放と、大自然と宇宙と自分との一体化を見るだろう。
そこにいたり、人類はついに「宇宙は我也」を知るのである。

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