毎日がはじまり
すべては概念である
世界はさまざまな技術的革命によって拡大され、拡張されてきた。
言語文字革命、印刷革命、産業革命、メディア革命、モバイルネットワーク革命と続き、現在に至っている。
そしてこれからVR革命が起こり、世界はメタバースへと進むのではないかと言われている。
だが、果たしてこれは世界の拡張なのだろうか?
制御できる世界をいくら拡大し、精細化していっても、世界を捉えたことにはならない。
世界の果てにたどり着くことはできないだろう。
なぜなら、世界とは物理的な環境ではなく、概念だからである。
つまり、そもそも世界は我々の頭が作り出した構築物であり、存在しないということだ。
世界と同様、社会も存在しない。
社会もただの概念だからである。
また宗教や神や仏ももちろん存在しない。
それらはすべて私たちの脳が創り出したただの概念である。
すべては概念である
ここで子どもを観察してみよう。
暑い、寒い、空腹、満腹、痛い、くすぐったい、かゆい、眠い……
これらは何かを求めるといった複雑な情動ではなく、ただの身体反応である。
つまり方向性を持たないのだ。
よって赤ん坊は何かを求めているのではなく、ただ生きているのである。
まさに無心と言えるだろう。
大人に成長しても、生活が保証されれば、誰もが赤ん坊と同じく無心でいられるのではないだろうか?
人間のゲーム化
だが成長するにつれ、人間には食欲や性欲、名誉欲、金銭欲など、さまざまな欲望が生まれてくる。
生まれてくるというより、実情はそのように学習されるということだろう。
生物の行動の根本原理は繁殖するためのものである。
動物の世界では最終的に勢力の強いものが繁殖環境を制して子孫を増やしていくが、人間の場合はここに秩序を組み込み、ルールを作った。
それが婚姻制度や一夫一妻制度などである。
繁殖という根本的な行動原理をルール化したのだ。
これが人間社会の始まりであり、世界の始まりである。
環境があり、ルールがあり、競争があり、結果が決まる。
これは何かというと、ゲームである。
つまりここから、人間のゲーム化が始まったのだ。
スポーツはもとより、世界、社会、経済、貨幣、国家、宗教、学校、コミュニケーション、ネットでの言動など、人間のすべての活動はゲームとして捉えることができる。
これらゲーム化の延長として、メタバースでのセカンドライフの到来が予感されているのだろうが、それは革命足り得るだろうか?
答えは否である。
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