このコーナーでは、フォーラムエイトの社内報「はちみつ」から、
国内各所の旅エッセイと映画に関するふたつのコラムを毎回紹介
していきます。
…… タイトル「はちみつ」に込められたメッセージ ……
スイートで栄養満点なコンテンツが詰まった「はちみつ」 8 meet
you を文字ってこのタイトルにしました。8(FORUM8)が社員や
社外の方と触れ合い、グループ、チームの仕事を理解し、目標達成
に向けて日々活動していくことが私達の理念です
今回は、愛媛県の伊予・大洲市をご紹介します。
その土地の秘話や関連人物のエピソードに軸足を置いた話題を提供します。

四国を江戸時代で眺めれば、1つの不思議な偏りを発見します。他3県が1、2藩(香川県が、高松、丸亀の2藩)だったというのに、愛媛県は、支藩を除いても4藩もあったのです。松山藩、今治藩、宇和島藩、それに大洲藩です。

大洲藩6万石があった現在の愛媛県大洲市を私は2度訪れています。1度目は、松山駅からJR(旧国鉄時代)に乗っても、今のように隣町の内子(木蠟の産地で有名)を経由して行けなかった時代でした。2度目の訪問で、再確認できた大洲の街を「水」、「歴史」、「ドラマ舞台」という3つのキーワードで話を進めたいと思います。

 水の巻

大洲は愛媛県西部を流れる肱川中流に位置する盆地にあり、江戸時代が始まってしばらくの間は大津と呼ばれていたそうです。そして、肱川が瀬戸内海に流れ込む河口の地が長浜(大洲市)です。大津といい、長浜といい、いかにも水辺の地域を表象する地名ですが、やはり滋賀県が琵琶湖のほとりに同名の地名を持っているところが面白いですね。

肱川がちょうど蛇行する位置にある大洲は、山水画にでも出てくるような風光明媚な場所に恵まれ、現在も残る臥龍山荘も元は藩主が景勝の地に建てたものです。また、水郷・大洲に似合うものに鵜飼いがあります。これは、岐阜の長良川、大分県日田市の鵜飼いと並べて、「日本三大鵜飼い」と呼ばれているそうです。

特筆すべきことに濃霧の発生とその結末に見る自然現象があります。

寒暖の差が激しい大洲盆地では、毎年のように、10月末ごろから冬にかけての朝、条件がそろえば濃霧が発生します。その霧が、時間の経過とともに肱川の流れに沿って下流に向かって流れていくのです。河口の長浜に着く頃には、暴風となって海上に流れ込むのです。その凄まじさから、これを「肱川あらし」や「長浜あらし」と呼んでいます。私は、現場を体験したことはないのですが、以前、NHKの映像で見たことがあり、その幻想的な自然現象には驚いたものです。激しい動きがあるだけに、山頂から眺める各地の雲海現象よりも楽しめるかもしれませんよ。

肱川と運命共同体にあるような大洲ですが、負の面も背負わされていることは否めません。昔から水害を多く体験しており、平成30年7月に西日本方面で降り続いた豪雨による大水害も記憶に生々しいです。東日本の人々には、それほど知られていなかったと推測する大洲という地名が、この災害でよく知られるという悲しい現実があったのではないでしょうか。

臥龍山荘

 歴史の巻

大洲藩は、史上有名な二人の脱藩者と縁を持つという歴史があります。その一人が、日本陽明学の祖であり、近江聖人と呼ばれた中江藤樹です。現滋賀県高島市に生まれ、近江聖人と呼ばれている藤樹がどうして大洲、と不思議に思う方もおられるでしょう。じつは子供のころから祖父の養子となり、その祖父が仕える高島城主の加藤氏が、高島から伯耆・米子を経て伊予・大洲へと転封された結果が、藤樹と大洲のつながりとなったわけです。ちなみに、加藤氏が入るまでの大洲城の主は目まぐるしく変遷しており、加藤氏が城主となって以後は変化なく幕末を迎えています。

大洲へ来てからの藤樹といえば、祖父が亡くなってから家禄を継ぐのですが、望郷の念と母親への孝養やみ難く、藩に無断で故郷に帰るのです。事実上の脱藩者なのですが、どういうわけか、藩の方では、彼をとがめることをしていません。大洲城近くにある大洲高校の中には、今も藤樹の邸宅跡があるそうです。

もう一人の脱藩者とは坂本龍馬のことです。土佐藩を脱藩した竜馬が長州へのルートに選んだのが大洲だったのです。大洲ルートが何かと安全だったようです。竜馬と大洲との縁はこれで終わりません。海援隊を結成したのち、今の広島県福山市沖合で紀州藩の船との海難事故に遭っています。有名な「いろは丸事件」です。このいろは丸は大洲藩から借りた船だったのです。

幕末の大洲が出たところで、1つ追加話をしておきます。皆さんは、北海道函館市にある五稜郭はよくご存じですよね。あの五稜郭を設計したのは武田斐三郎という蘭学者で、この人、大洲藩の下級武士の生まれです。緒方洪庵や佐久間象山に学んだ後、幕臣となって箱館(現函館)で教育する側にまわった経緯があります。どういうわけか歴史の語り部・司馬遼太郎には、斐三郎はあまり評価されていなかったようです。何かの本で読んだ記憶があるのですが、「怪しげな蘭学者」と書かれていました。

肱川
肱川に並ぶ鵜飼い船 大洲城から眺めた肱川 大洲城

 ドラマ舞台の巻

私が高校生のころ、NHKの朝ドラで『おはなはん(樫山文枝主演)』が放送されていました。年配の人間は皆知っている有名なドラマです。平均視聴率が、なんと46%という超人気ドラマでした。後に『おしん』が出るまでは、記録保持ドラマでした。このドラマの舞台が大洲だったのです。これには秘話があって、じつは原作では徳島県の徳島市が舞台だったそうです。それが、脚本の段階で大洲市に変更されたのです。静かで古い町並みを残す所というのが理由のようです。今も「おはなはん通り」というのが残っています。

『おはなはん』から10年ほど後、これまた有名な映画ロケで大洲が使われています。寅さんファンには懐かしい、『男はつらいよ』の第19作、『寅次郎と殿様(昭和52年作)』です。日本的情緒を重んじる山田洋二監督が大洲を見逃すわけがないですよね。マドンナ役は真野響子で、旧大洲藩の殿様の末裔の役として嵐寛寿郎が演じていました。

大洲を舞台にした映画で、私が最後に観たのが『ぼくのおばあちゃん』です。実際はテレビ放映で観たのですが、先年亡くなった名脇役女優・菅井きんの最初にして最後の主演映画だったそうです。今は、住宅会社の営業マンとなっている主人公が、大洲市にいるおばあちゃんに育てられた子供時代を回想する、祖母への慕情がテーマでした。思わずうるっとくる、いい映画でした。

以上のドラマは、私が実際に観たものだけを話しましたが、これら以外にも、結構、大洲がロケ地に使われているようようなので、読者の皆さんも何かの作品で大洲の街を見ているかもしれませんね。




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(Up&Coming '21 春の号掲載)
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