コロナ騒ぎによって見えてきたもの
世界はゲーム化されている
今日の人間社会は情報化社会と言われて何年か過ぎてきました。
情報化とは数値化のことです。
数値化すると比較が容易になり、勝敗がわかりやすく目に見えるようになります。
そして環境や状況までもが数値化されると、そこに自然とルールが生まれるでしょう。
ルールがあり、条件があり、勝敗が決まる――私たちはそれをゲームと呼びます。
つまり情報化とは、人間社会がゲーム化されたことを意味しているのです。
ルールがあり、勝敗が決するのがゲーム
来年開催が予定されているオリンピックも、正式名称はオリンピアード競技大会(Games of the Olympiad)、まさしくゲームです。
野球をはじめゴルフもサッカーも、スポーツはすべてゲームですが、
それだけでなく株式相場や為替、宝くじといったお金が絡む経済活動も、ルールがあり、勝敗が決するという意味ではゲームです。
もっと言えば、政治や宗教、教育といった分野も、ある側面から見れば立派なゲームだと言えるでしょう。
安全性が脅かされすぎると危機になる
侵略戦争や人種争いなども、すべてはゲーム化されて社会に組み込まれています。
ゲームは本来安全なものです。なぜならプレーヤーはゲームの外にいるからです。
ですが、ゲームがハードになりすぎてプレーヤー自身の安全が脅かされる事態になると、
たちまちのうちに社会は混乱し、今日のようなコロナ危機となって現れるのです。
なぜ人はゲームが好きなのか
なぜ人間はゲームに巻き込まるのでしょう?
いままで何度もゲームに巻き込まれ散々な思いをしてきたのにも関わらず、なぜ懲りずにゲームが好きなのでしょうか?
それは、ゲームにはスリルがあるからです。
究極のスリルとは
究極のスリルは死の恐怖です。
私たちは死ぬかもしれないゲームに喜びを感じます。たとえばスカイダイビングやバンジージャンプ、
厳しい冬山に単独登山し、素潜りでどこまで潜れるかに挑みます。
それは冒険家やプロスポーツプレーヤーなどの特殊な人たちのことだと思われるかもしれませんが、
実は私たちは日常でもさまざまな形で小さな死を経験しようとしています。
わざわざ怖い思いをしてホラー映画を見たり、お化け屋敷に行くのはなぜでしょう?
行列してまでジェットコースターや絶叫マシンに乗るのはなぜなのか?
すべては安全圏から死を体験するためです。
では、死を体験することがなぜそれほど魅力的なのでしょうか?
それは、私たちは死の恐怖から解放されたときに大きな生の喜びを得るからです。
つまり私たちは常に生きていることを実感したいのです。
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