札幌市とJOC(日本オリンピック委員会)は2030年の冬季オリンピック開催を目指し、2014年11月以来招致運動を展開してきた。が、どうやら落選の気配が濃厚になったようだ。
開催都市に名乗りを上げた当初、札幌市の評価は非常に高かった。
五輪開催都市の決定に関しては、過去に開催立候補都市の招致運動が過熱し、開催都市決定の投票権を持つIOC(国際オリンピック委員会)の委員に、多額の賄賂が渡る事態も生じていた(2016年リオ五輪ではIOC委員に約2億円を渡したとして、招致委員長が逮捕されて有罪。2020年東京五輪でもトンネル会社を通じて多額の金銭が渡った疑いで、フランス検察庁が今も捜査中だという)。
そこでIOCは、五輪開催立候補都市の招致運動を全面的に禁止。IOCの内部に、IOC委員4名とIPC(国際パラリンピック委員会)や選手代表委員など4名で、合計8名の「将来開催地委員会」を設置し、委員会と開催希望都市が五輪実施計画を一緒に話し合い、どの都市で開催するのが最も相応しいかを協議して開催都市を決定することになったのだ。
そんななかで札幌と並んで開催希望を表明していた都市……シュマルカルデン(ドイツ)、カルガリー(カナダ)、バンクーバー(同)などが、地元市民の反対運動の拡大などで脱落。アルマトイ(カザフスタン)やボルジョミ(ジョージア)は施設や運営で「将来開催地委員会」の支持を得られず、札幌の有力な対抗馬であるソルトレイクシティ(アメリカ)は、ロサンゼルス五輪が2028年に開催されるので、開催希望を30年から34年に移した。
その結果、札幌市の30年開催が有力視されたのだが、コロナで1年延期となった21年東京五輪の終了後から五輪のスポンサー契約にまつわる贈収賄事件が次々と発覚。
多くの逮捕者まで出て、札幌市はもちろん日本国内の五輪開催の盛りあがりを欠くことになり、五輪開催反対の声まで高まった。
しかし他に有力な開催候補都市もなく、IOCの「将来五輪開催地委員会」は、30年冬季五輪開催都市の決定を何度も先延ばしにし、今では来年7月のパリ五輪開催時に開催されるIOC総会で決定することにして、日本(札幌)の東京五輪贈収賄事件の沈静化を待つことにした。
一方で、スウェーデンのストックホルムが、郊外都市のオーレとともに30年冬季五輪開催の意志を表明。スウェーデンは26年の冬季五輪開催にも立候補し、ミラノ&コルチナ・ダンペッツォに敗れていたが、どうも札幌(日本)の五輪疑獄事件が終息しそうにないと判断したIOCが、スウェーデンの再登場を促したというのが真相のようだ。
そうなると、札幌はどうすれば良いのか?
山下泰裕JOC(日本オリンピック委員会)会長も、今年6月に「札幌冬季五輪は、2030年以外も考えるべき」と、当初の目標からの撤退も口にした。
ならば冬季五輪開催希望を取りやめるのか? と思ったところへ、五輪アナリストの春日良一さんが、実に興味深いアイデアを表明した。春日さんは日本体育協会(現・日本スポーツ協会)職員としてJOCへの出向経験も持ち、1998年の長野冬季五輪の招致開催にも尽力された人物だが、彼は「札幌市は2030年冬季五輪の開催希望を取りやめると同時に、ウクライナでの開催を支持すると表明すべきだ」と主張しているのだ。
戦争真っ最中のウクライナで、五輪開催が可能か? と訝る人もいるだろう。が、古代ギリシアのオリンポスの祭典(古代オリンピック)以来、戦争を止めることこそオリンピック最大の開催意義だったはずだ。
古代オリンピックは紀元前776年に始められ、ローマ帝国がキリスト教を国教にしたあと、ギリシアのゼウスを中心とする異教の祭典である古代オリンピックは、紀元後393年を最後に幕を閉じた。
その間約1千年間も古代オリンピックは続いたのだが、《ギリシア人には、オリンピックが必要であったのだ。でなければ、ああも長い歳月にわたって、ギリシア人には珍しい律儀さで続いたはずはない。(略)オリンピックとは、戦いばかりしていた古代のギリシア人から生まれた、人間性に深く基づいた「知恵」であった》(塩野七生『ギリシア人の物語Ⅰ民主制のはじまり』新潮社)
「戦いばかりしてい」るのは、何も古代ギリシア人に限らず、現代人も同じだ。ならば「戦争を止めるためにオリンピックを開催すること」が、最もオリンピックの趣旨に叶っているといえるだろう。
それに、ウクライナ政府は21年2月に、ワジム・グツァイド青年スポーツ大臣によって、28年のユース・オリンピック(18歳以下のオリンピック大会)と30年の冬季オリンピックの招致開催を表明したこともあるのだ。
確かに現実問題として、戦争真っ最中のウクライナが冬季五輪を開催することは困難だろう。が、現在のIOCには、冬季五輪を開催できるくらいの金銭的余力がある、と春日氏は言う。
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