Vol.21
JR東海道本線を跨える
芦屋川

兵庫県


NPO法人 シビルまちづくりステーション  http://www.itstation.jp/
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芦屋川

芦屋川は、芦屋市北部の六甲山地に発し、ごろごろ岳(標高565.6m)から奥山貯水池を経て、いくつかの谷からの水と合わさりながら南に下り、阪急芦屋川駅の上流開森橋付近で支流の高座川と合流し、まっすぐ海に流れ込んでいます。長さは約6㎞の二級河川です。
水質は良く、明治時代から水道水源として利用されている一方、土砂生産量が多く中流部では天井川になるなど幾度となく水害を発生させてきました。


開森橋より上流を望む 公光橋(きんみつばし)より上流を望む

1)阪神大水害

昭和13年(1938年)には阪神大水害が発生。芦屋川では河床の堆積物などが土石流化して氾濫し、河口付近の住宅地にまで壊滅的な被害が発生しました。開森橋左岸には、芦屋川決壊地を示す碑があります。この碑は自然災害伝承碑として、阪神大水害発生から50年後の1988年7月に建てられました。

また、この近くに、芦屋を舞台にした谷崎潤一郎の『細雪』では、大水害による芦屋川・住吉川の洪水の場面や人々の様子が描かれています。昭和61年(1986年)4月、谷崎潤一郎の生誕百年を記念して「細雪の碑」が建てられています。この碑などの巨石は阪神大水害の際に流れてきた石であると言われています。題字の「細雪」は谷崎松子夫人の筆によるものです。裏面には、「細雪」に書かれている昭和13年の阪神大水害による芦屋川の氾濫の様子が刻まれています。

阪神大水害の復興にあたっては、昭和14年(1939年)から昭和21年(1946年)にかけて、国が芦屋川の改修工事を実施しました。

平成7年(1995年)に阪神・淡路大震災で、再び上流部に土砂災害が発生した際には、ただちに砂防ダムの設置などの対策工事が進められました。


芦屋川決壊地を示す碑 細雪碑

2)奥池(奥山貯水池)

昔から芦屋の村々は、日照りが続くと田畑の水不足に悩み、水争いが絶えませんでした。

江戸時代の末期芦屋村の村長であった猿丸又左衛門安時が、このような争いがなくなるように、天保12年(1841年)から約20年の歳月をかけて奥山の谷を堰き止めて奥池を築造しました。以後、水争いが少なくなりました。

また、昭和40年から着工した奥山貯水池が47年6月、奥池の下流隣接地に完成し、いまは奥山貯水池と合わせ芦屋市民の水源として恩恵を与えています。

安時の立派な働きを後世の人々に伝えるため、開森橋左岸(芦屋川決壊地碑近傍)に「猿丸安時頌徳碑」が建てられています。


猿丸安時頌徳碑 高座の滝

3)ロックガーデン

芦屋川の支流・高座川から六甲山山頂への登山道の途中に、「ロックガーデン」と呼ばれる岩山地帯があります。高座の滝付近から始まり、北側は荒地山までの一帯をロックガーデンと呼んでいます。ロックガーデンは花崗岩が風雨によって、浸食されて作りだされた地形です。この地形は、約7,500万年前に造られた花こう岩の硬い部分が残ったものです。一帯は六甲山山頂に向かう登山ルートとして人気なだけでなく、ロッククライミング(岩のぼり)の練習場所としても有名です。



芦屋川トンネル(JR東海道本線)

大阪 - 神戸間の官設鉄道は、新橋 - 横浜間の鉄道開通に続き、日本で2番目の鉄道路線として明治7年(1874年)に開業しました。

鉄道はふつう、川の上を通るものなのに、ここでは逆です。これは芦屋川が天井川で周辺より川底が高いため、鉄道を川の上に通すより、川の下をトンネルで通した方がスムーズだったからです。また、当時の汽車の動力では、周囲より高い傾斜が登れなかったため、川底トンネルにせざるを得なかったのです。

芦屋川の下に路線を通すために完成したトンネルは煉瓦の構成や建築技術が評価され、イギリスの新聞にもイラストが掲載されました。

六甲山地のふもとの川では、芦屋川をはじめ、住吉川や石屋川などが天井川となっています。芦屋川以外にも、住吉川、石屋川に鉄道トンネルが造られました。

今でも、住吉川の下は鉄道が通りぬけていますが石屋川鉄道トンネルは、日本最初の西洋式トンネルで明治4年(1871年)完成し石屋川の下をくぐっていましたが、同区間の高架化により現在は消滅しています。


芦屋川とJR東海道線交差部 芦屋市所蔵古写真(芦屋川トンネル)

旧山邑家住宅(ヨドコウ迎賓館)

旧山邑家住宅は、帝国ホテルを設計したことでも知られるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト氏の設計で、現存する住宅では唯一のものです(大正13年完成)。この住宅は灘五郷の一つ、「櫻正宗」の銘柄で知られる、魚崎郷の山邑酒造株式会社(現在の櫻正宗株式会社)8代目当主・山邑太左衛門が建てた別邸です。現在は株式会社淀川製鋼所の迎賓館ですが、一般公開されています。

建物は、芦屋川の南斜面を利用した鉄筋コンクリート造り4階建てで、各階に大谷石(宇都宮産)が用いられ、大谷石の材質や質感を活かした幾何学的な彫刻も観られます。建物屋上からは、芦屋のまち並みや山側では六甲山が、海側では大阪湾が一望できます。

昭和49年5月21日に国の重要文化財に指定されました。

ヨドコウ迎賓館では、山邑家ゆかりの雛人形を例年2月から4月にかけての雛祭りの時期に展示しています。

展示する雛人形はヨドコウ迎賓館の建築主である8代目・山邑太左衛門氏が長女の誕生を祝って、京都の老舗「丸平大木人形店」によって制作され、明治年間に納められた時代を超えた美しさを持つ人形です。当時の最高の技と素材を使って作られた文化的にも非常に価値の高い逸品です。


ヨドコウ迎賓館


<参考文献>
六甲山系芦屋市地域学習ゾーン検討委員会「みんなで語り、伝えよう! 芦屋川物語」


(Up&Coming '24 秋の号掲載)


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