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1)阪神大水害 昭和13年(1938年)には阪神大水害が発生。芦屋川では河床の堆積物などが土石流化して氾濫し、河口付近の住宅地にまで壊滅的な被害が発生しました。開森橋左岸には、芦屋川決壊地を示す碑があります。この碑は自然災害伝承碑として、阪神大水害発生から50年後の1988年7月に建てられました。 また、この近くに、芦屋を舞台にした谷崎潤一郎の『細雪』では、大水害による芦屋川・住吉川の洪水の場面や人々の様子が描かれています。昭和61年(1986年)4月、谷崎潤一郎の生誕百年を記念して「細雪の碑」が建てられています。この碑などの巨石は阪神大水害の際に流れてきた石であると言われています。題字の「細雪」は谷崎松子夫人の筆によるものです。裏面には、「細雪」に書かれている昭和13年の阪神大水害による芦屋川の氾濫の様子が刻まれています。 阪神大水害の復興にあたっては、昭和14年(1939年)から昭和21年(1946年)にかけて、国が芦屋川の改修工事を実施しました。 平成7年(1995年)に阪神・淡路大震災で、再び上流部に土砂災害が発生した際には、ただちに砂防ダムの設置などの対策工事が進められました。
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2)奥池(奥山貯水池) 昔から芦屋の村々は、日照りが続くと田畑の水不足に悩み、水争いが絶えませんでした。 江戸時代の末期芦屋村の村長であった猿丸又左衛門安時が、このような争いがなくなるように、天保12年(1841年)から約20年の歳月をかけて奥山の谷を堰き止めて奥池を築造しました。以後、水争いが少なくなりました。 また、昭和40年から着工した奥山貯水池が47年6月、奥池の下流隣接地に完成し、いまは奥山貯水池と合わせ芦屋市民の水源として恩恵を与えています。 安時の立派な働きを後世の人々に伝えるため、開森橋左岸(芦屋川決壊地碑近傍)に「猿丸安時頌徳碑」が建てられています。
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3)ロックガーデン 芦屋川の支流・高座川から六甲山山頂への登山道の途中に、「ロックガーデン」と呼ばれる岩山地帯があります。高座の滝付近から始まり、北側は荒地山までの一帯をロックガーデンと呼んでいます。ロックガーデンは花崗岩が風雨によって、浸食されて作りだされた地形です。この地形は、約7,500万年前に造られた花こう岩の硬い部分が残ったものです。一帯は六甲山山頂に向かう登山ルートとして人気なだけでなく、ロッククライミング(岩のぼり)の練習場所としても有名です。
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(Up&Coming '24 秋の号掲載) | |||||||
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