Vol.14
本明川(日本一短い一級河川)物語

長崎県


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本明川は、その源を長崎県諫早市五家原岳(標高1,057m)に発し、多良山系の急峻な山麓を南下し、湯野尾川・目代川などの支川を合流して下流の諫早平野を潤し、福田川、半造川を合わせて有明海に注ぐ、幹川流路延長が僅か28km、流域面積も僅か249km2の一級河川です。249㎞2は10㎞×5㎞の長方形に相当します。これ程小規模な一級河川なのです。これらから本明川は非常に珍しい一級河川であるといえます。

諫早市は、昭和33年7月25日、梅雨前線の停滞に伴い午前9時頃から集中豪雨に見舞われ水防本部を設置しました。午後3時には本明川は警戒水位を超え、市は午後6時50分1回目の、午後7時30分2回目の避難命令を発しました。午後8時頃になると上流では土石流が発生し、午後9時30分本明川は氾濫、3回目の避難命令サイレンが鳴り響きました。直後に市内は停電し、一切の通信は途絶えました。猛烈な雷雨で本明川は濁流となり市内に流れ込みました。深夜12時頃、ようやく水が引き始めましたがこの水害で諫早市では539名の命が失われました。当時の推定人口11,1000人の約0.5%に当たります。戦後最大の被害をもたらしたと言われる伊勢湾台風の被害は死者5100人で、当時の名古屋市の推定人口1,5000,000人の0.034%でした。これに比べて、如何に本明川での被害が甚大であったかが分かります。筆者が中学1年の時に諫早大水害は発生しましたが、この災害ことは学校でも大きな話題となったことを今でも鮮明に覚えています。

被災4日後、大村駐屯地から派遣された自衛隊員が給水活動を行い、真っ先に飲料水の確保を実施しました。これらの救助活動により、これまで色々な意味で色眼鏡で見られていた自衛隊の印象が、国民の間で変化したのではないか思われます。後述の「諫早大水害50周年記念誌」には、自衛隊の活動の様子が数多く載せられています。

また、被災当時7歳だった方が災害をどのように受け止めていたか、50年経ってどのように感じているかを詳細に語っています。

諫早市は水害50周年を記念して、平成19年7月「諫早大水害50周年記念誌」を発刊しました。この中で、当時の吉次邦夫市長は以下のように宣言されています。(前略)「災害はいつ何時起こるかわかりません。私の市長としての基本は安全・安心なまちづくりです。そして最大の責務は、市民の生命・財産を守るということです。それにはまず防災。現代の地球温暖化や異常気象にもしっかり備えていかなければいけません。50年が経った今、あの日のことを風化させることなく、今一度この歴史を再認識し、災害に強いまちづくりをさらに進めていきます。」


写真1  諫早大水害50週年記念誌(左)と被災者の母子手帳(右)

写真2  被災直後の本明川。画面右は流木をせき止め被害を大きくした眼鏡橋

写真3  自衛隊員の復旧活動の様子


諫早湾の干拓

諫早湾はガタ土が次々と堆積する湾で、集中豪雨や台風が来る地域であり排水不良で高潮・洪水が起きやすかったため、600年以上前(戦国時代)から城主であった西郷氏によって、洪水防止対策として干拓が繰り返し行われてきました。平成になって防災機能強化と農地造成のためと称して、農林水産省は国営干拓事業として着工しました。この事業に対して、有明海沿岸の長崎、佐賀、福岡、熊本の各県の漁業関係者は有明海の環境が大きな影響受けると大反対しましたが、農水省は干拓事業を強行し、今日に至っています。ギロチン閉門から20年、この閉門によって有明海の環境がどのように変化していくのか予測することは困難ですが、今よりも良くなることを祈るばかりです。


写真4  諫早湾干拓事業の航空写真(出典:九州農政局諫早湾干拓事務所)


諌早の眼鏡橋

天保10年(1839年)に本明川に架けられたものが諫早水害の後、諌早公園内に移設され、昭和33年(1958年)石橋としては初めて重要無形文化財に指定されました。幅員5.5m、橋長49.25mです。


写真5  諫早公園・眼鏡橋


本明川ダムの建設

国土交通省は「洪水調節」と「農業用水の確保」を目的として本明川ダムの建設を決定し、平成6年4月事業に着手しました。平成25年事業の継続を決定し、途中、種々の経緯を経て令和3年3月「水源地域対策特別措置法に基づく水源地域整備計画」を決定しています。本明川ダムが完成したとの情報は今のところ得られていません。大幅に遅れていることは確かなようです。


写真6  本明川ダム完成イメージ図



一級河川の定義

国土交通省河川局のホームページによれば、一級河川は以下のように定義されています。

『河川は上流部から小さな河川が合流し、この合流を繰り返しながら徐々に海へ向かうにしたがい、大きな河川となっていきます。これら一群の河川を合わせた単位を「水系」と呼んでいます。1965年に施行された河川法によって国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定されたものを「一級水系」と呼んでいます。一級水系に係わる河川のうち河川法による管理行う必要があり、都道府県知事が指定(区間限定)した河川です。(中略)ところで、一級水系の定義で、「国土保全上」とは、洪水、高潮等の災害が発生した場合に想定される人命、財産等の被害が大きく、この防止が国家的な見知から治水上重要であることを意味し、「国民経済上」とは、上水道、工業用水道、灌漑、発電など河川の利用の影響度が一地方の経済にとどまらず、国家的に見て大きいものであることを意味します。このように治水上又は利水上特に重要な水系については、国において管理することが望ましいため、一級水系に指定されます。』


写真7  本明川



<参考文献>
1)「諫早大水害50周年記念誌」 諌早市 秘書広報課 平成19年7月発行
2)フリー百科事典ウィキペディア 諫早市
3)諫早市公式HP https://www.city.isahaya.nagasaki.jp/
写真4 出典:九州農政局諫早湾干拓事業所



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(Up&Coming '23 新年号掲載)

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