株式会社フォーラムエイト
オートモーティブ アドバイザー

松井 章

Akira Matsui

1959年生まれ。三重県伊勢市出身。大学卒業後、1984年に某自動車会社に入社。空力性能を中心としたクルマの運動性能評価を担当。
その後、電子制御システムの開発部署に異動し、ABS/ESPやADAS/AD関連の開発に従事。さらに、インフラ協調システムや、MaaSの企画・開発も担当。退社後、現在は、フリーランスとして、クルマ開発に関する各種業務を受託。

第7話 クルマ開発でのドライビングシミュレータの活用

はじめに

第7話では、「CASE」をはじめとした電子システムや「走る・曲がる・止まる」といったクルマの基本的な走行性能などを開発するためのツールのひとつであるドライビングシミュレータ(以降DSと略します)に関連する話題を取り上げます。

DSとは、仮想の運転環境下でヒトの運転体験を再現するシステムです。有名なゲームソフトであるグランツーリスモシリーズも立派なDSのひとつです。実在のサーキットや一般道をゲーム機の中でリアルに再現し、コントローラを操作して、レースカーを走らせます。ヒトはリビングのソファに寝そべったままで、サーキットにも出かけていないし、レースカーも運転することもありませんが、素晴らしい没入感で鼻息も荒く、爆走している気分になっているはずです。ちなみに、サーキットのような現実に存在する場所を仮想空間上で双子のようにリアルに再現するテクノロジーを「デジタルツイン」といいます。

クルマの開発で使われるDSは、一般的にステアリングやペダル、メーターなどクルマの運転席周りを模したコックピットや運転席から見える景色を表示するディスプレー、加速減速や右左折などクルマの動きを再現するモーション機構、走行音を発生する音響機構などを備えています(図1)。コンピュータを使って、仮想空間の中での自分の位置や視線の方向から見える風景を描画し、車両の挙動の計算やDS全体の制御を行います。DSは、現在のクルマ開発において、不可欠なツールとしてさまざまなプロセスで活用されています。

図1 ドライブシミュレータの構成

DSを活用するメリットは大きく下記の3点が挙げられます。

1.安全を確保した再現性の高いテスト

たとえ、テストコースだったとしても、ヒトの急な飛び出しのような重大事故発生のリスクが考えられる危険なシナリオの場合、生身の人間で実車を使ったテストを行うことは不可能です。また、周囲のクルマやヒトの存在や信号の状態などの交通状況、気象条件、路面状況を安定的に再現することも困難です。DSを使うことにより、危険性が高いケースも含めた条件下での複雑なシナリオを何度でも安全にテストすることができます。

2.開発費の削減と開発期間の短縮

試作車を作成することなく、機能開発や品質確認のテストをすることで、車両試作費の低減が可能です。また、多大な時間、費用を必要とするテストコースや公道でのテスト回数を減らすことにより、開発費の削減や開発サイクルの短縮化に繋がります。さらに、DSを無人で連続的に稼働させるような使い方をすることにより、さまざまなケースでのテストが、極端に言えば、電気代の負担だけで行うことができます。

3.大量な詳細データの収集

DSを使ったテストでは、クルマの状態やECUの演算値、各種センサーの出力、ドライバーの運転行動などのデータを、実車でのテストとは比べ物にならないくらい大量に、少ないノイズで同時計測することができます。得られたデータを精密に解析することにより、システムやクルマの性能改善に役立てることができます。

DSの活用事例

CASEの「A」の領域に含まれるADAS(Advanced Driver Assistance Systems;先進運転支援システム)を中心とした実際の開発プロセスにおける活用事例を紹介したいと思います。ADASの代表例は、ACC(Adaptive Cruise Control)や車線逸脱警報システム、衝突被害軽減ブレーキなどです。ADASの開発は、DSの特徴を生かした用途として、最も親和性が高いと言っても過言ではありません。

ドライバー特性の研究

実際に世の中で発生した交通事故の原因は多くの場合、安全不確認や脇見運転のようなドライバーの安全意識の欠如によるものと言われています。事故実態のデータ分析を行い、事故に至るまでのドライバーの挙動を分析し、なぜ事故が起こったのかを究明することは、ADAS開発の1丁目1番地となります。

事故実態データの分析結果に基づき、例えば運転中に目の前に物影から突然ヒトが飛び出す場合などの危険事象発生シナリオをDSに組み込み、ドライバーがどのような反応をするのかを把握します。その場合に、ハンドルやブレーキ、アクセル操作のような直接的な運転行為だけでなく、心拍数、視線などのような生体情報を同時に計測することによって、ドライバーの状態を深く把握することができます。DSでの実験は、年齢や性別などが異なる多くの被験者に対し、同一条件のシナリオを何度も安定的に発生させることができ、取得した大量の基礎データから多くの知見を得ることができます(図2)。

図2 安全運転シミュレータによる運転診断

特に、疲労時、眠気に襲われたときや、飲酒時の運転挙動などは、一般の公道ではもちろんのこと、閉鎖されたテストコースでも取得が難しいデータであり、DSを用いたテストが大変有効です。余談ですが、筆者は自動車会社勤務時代に、飲酒ドライバーの運転挙動分析の被験者募集があれば、真っ先に手を挙げる気満々でした。なにせ、就業時間中に給料を頂きながら、会社持ちで正々堂々と一献頂けるわけですから。アンテナが低かったのか、テストが見送られたのか定かではありませんが、募集案内をキャッチできなかったのは、残念でなりません。

ADASの開発

ドライバー特性の研究によって得られた知見から、市販車への搭載による普及を前提として、事故の未然防止効果が期待できるシステムを考案し、ADASの開発を着手します。

製品開発に着手する前にPOC(Proof of Concept;概念実証)として、システムの基本機能の有効性検証を行います。DSには、クルマの動的特性や搭載予定のセンサーのモデルを組み込み、走行環境を仮想空間として構築し、危険発生シナリオを組み込んで様々な交通状況や気象条件を作りだします。開発するADASの基本的な制御アルゴリズムを設計し、ドライバーインターフェース(視覚的表示、警報音など)とともにプログラム化しDSに実装し、動作検証します。実際のドライバーを被験者としたテストを重ね、システムの有効性や受容性などのユーザーエクスペリエンスを確認します。

POCを経て、本格的な製品開発段階への移行が承認されると、DSは、システムの品質確保の道具としての活用に軸足が移ります。量産用のソフトウエアを実装したADAS用ECUとDSを組み合わせ、さまざまなテストを行うことにより、制御仕様の不具合やソフトウエアのバグを検出し、製品にフィードバックします。ECUは実物を使いますので、いわゆるHILS(Hardware-in-the-loop simulation)といった使い方となります。開発終盤では、並行して開発が進められている量産型のカメラ、Lidarなどのセンサーや他の関連するECUとともに実車に組み込み、実際の走行環境下でのテストによる確認は欠かせません。

ADASの延長上に位置づけられるAD(Autonomous Driving;自動運転システム)の開発においても同様のDSを使った開発が行われます。AD車の場合は、ヒトではなく、クルマ(システム)が運転操作を行います。他のクルマやヒトが自由に動く様々な交通環境を正しく認識し、適切な運転操作を行い、事故のない所望の動きをすることができるかという観点を重要視します。この場合は、ヒトがDSを操作することを想定しなくていいため、無人で連続的な自動テストも可能です。わかりやすくいうと、例えば、リアルな首都高速道路を作りこんで、周囲に他のクルマを自由に走行させ、AD車を何日も走らせて、事故が起きないことを確認するといったイメージです。

また、なんとなく運転に不安を感じさせるタクシードライバーにたまに遭遇します。AD車の場合には、「タクシードライバー=システム」という関係になりますが、ヒトである同乗者に不安・不快な思いをさせるシステムになっていないかなど、ヒトの運転を前提としたADASとは少し違った観点でも評価されます。

システムの理解活動

開発したシステムは、潜在顧客に対して、効果や性能限界も含めた使い方を正しく理解してもらったうえで、購買行動につなげ、世の中に広く普及を図る必要があります。そのためにDSは理解促進や広報・宣伝ツールとしての活用が期待されています。車両の販売展示会やモビリティショーなどの機会を捉え、システム理解の一助として、来場者にシステムの操作感や効果を実際にDS使って疑似体験してもらいます。

ドライバー教育・啓蒙

クルマの開発とはすこし用途は異なりますが、DSを活用した安全運転の教育、啓蒙活動は、安全運転の重要性を理解してもらうために非常に効果的です。

例えば、運転免許教習所ではDSを使い、初心者ドライバーに対して安全運転の基本を教えたり、危険な状況を安全に体験させたりすることで、危険への基礎的な対応力を高めます。ビデオを見せるだけの教育にくらべ、疑似的とはいえ実際に能動的な運転行為を行うため、理解度が向上します。最近では、大都市圏や離島などを中心に高速道路での走行教習をDSに置き換える教習所もあると聞きます。高速道路を想定した車線変更や合流などの場面を体験させるそうです。

DSの限界

DSには、限界が存在します。ひとことでいえば、いくら作りこんでもやはり真のリアルにはなりえないということです。現実の運転環境と比較して、運転者が感じる振動や衝撃、加速度などの感覚を完全には再現できませんし、ステアリングやペダルからの感覚が実車とは異なる場合があります。また、走行環境の描画に関しても、性能は格段に向上しているとはいえ、3次元空間を平面上に描画し、複数並べたものであり、天候、光の反射、夜間運転などの視覚的な要素も現実と異なります。さらに、視野角が限られているため、側方視野や後方視野の情報が不足することがあります。ヒトは、如何に多くの情報を得て、クルマを走らせているのかを再認識させられます。

所詮DSと思ってしまい、事故や危険に対して、公道で感じる恐怖やストレスを感じにくく、ドライバーの反応が現実とは異なる可能性があります。

また、クルマの動きの再生や走行環境の描画などによりリアリティを追求した高性能なDSは非常に高価になり、大きな設備を必要とする場合もあり、小規模な組織には導入が難しいことがあります。

フォーラムエイトのDSへの取り組み

フォーラムエイトでも、3次元バーチャルリアリティのソフトウエアであるUC-win/Roadを中心として構成したDSを販売しており、大学などの多くの研究機関、カーメーカー、部品メーカーなどに導入され、日々活用されています。

フォーラムエイトのDSの特徴は、まず、仮想空間を作るソフトウエアが優れていることが挙げられます。さらに、ソフトウエアとモーション機構やセンサーなどのハードウエアとの組み合わせの自由度が高いことも大きなアドバンテージです。その気になれば、ドラゴンボールの筋斗雲のような架空の乗り物でも、仮想的な飛行体験を実現することができます。

みなさんは各種展示会でのフォーラムエイトのブースで、ジェットコースターのシミュレータに試乗されたことがあるでしょうか? リアルに作りこまれた品川駅内に、仮想的にジェットコースターのレールを敷き、前後左右に動くモーション機構のあるシートと組み合わせることにより、迫力のあるジェットコースター走行体験ができます。これは、組み合わせの自由度の高さを示す具体的な一例です(図3)。

図3 VRモーションシート(ジェットコースター体験)

フォーラムエイトは、今年も「WRC FORUM8 Rally Japan」のオフィシャルタイトルパートナーです(図4)。11月21日から愛知/岐阜を舞台として開催され、 主会場の豊田スタジアムのフォーラムエイトブースには、DSも設置される予定です(図5)。現地でお待ちしておりますので、ぜひ、お越しいただければと思います。

図4 FORUM8 Rally Japan2023フォーラムエイトブース

図5 Rally Japan ドライビングシミュレータ

おわりに

DSの導入に限らず、クルマの開発プロセスは、ものすごい勢いでのDX化が進んでいます。筆者のように走ってナンボのいにしえのエンジニアとしては、寂しい限りですが、もしかしたら、近いうちに、試作車を作ることも、たくさんの計測器を搭載して、テストコースを走ることもなくなる時代がくるのかもしれません

DSは、性能限界を知ったうえで、目的に応じてうまく活用すれば、大変有用な開発支援ツールとなります。今後もコンピュータやモーション機構の性能向上は、おおいに期待でき、よりリアリティの高いツールとして大きな進化を遂げるものと思われます。

DSの進化・普及による開発効率と製品品質の圧倒的向上を大いに期待しながらも、アナログ的な「走ってナンボ」文化がなくならないことを願って本稿の結びとします。

(Up&Coming '24 秋の号掲載)



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