はじめに
福田知弘氏による「都市と建築のブログ」の好評連載の第29回。毎回、福田氏がユーモアを交えて紹介する都市や建築。今回は台中の3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞお楽しみください。
Vol.29
台中:亜州現代美術館
大阪大学大学院准教授 福田 知弘
プロフィール
1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学大学院准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。国内外のプロジェクトに関わる。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design Research In Asia)学会 会長、日本建築学会 近畿支部常議員、NPO 法人もうひとつの旅クラブ副理事長、大阪旅めがねエリアクルー。「光都・こうべ」照明デザイン設計競技最優秀賞受賞。著書「VR プレゼンテーションと新しい街づくり」「はじめての環境デザイン学」など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/
亜洲現代美術館
2013年10月、台湾・台中を訪問した。亜洲大學・亜洲現代美術館オープニングセレモニー出席のため。台湾初となるANDO建築の完成1)。早朝、台北を出発した時には雨が降っていたものの、台中に着くと晴れた。【図1】は、除幕式に出席された、馬英九・台湾総統(当時)、建築家・安藤忠雄先生、亜洲大學蔡進發学長、劉育東副学長。式典の最初は美術館全体に赤い布が被せられ、途中で布が外されてファサードがお目見えするという演出。日本からも百数十名が参加され、盛大に執り行われた。
【図1】亜洲現代美術館オープニングセレモニー
その後、美術館内部をお披露目。美術館は、3つの三角形を微妙にずらしながら、三層に重ねた印象的なフォルム【図2】。階段室では三角形のトップライトから自然光が射し込んで来る。10年ほど、笹田剛史先生、安藤先生、劉先生の傍で本プロジェクトを超微力ながらお手伝いさせて頂いた。沢山勉強させて頂いた。そんなこともあって感慨深いものがあった。
【図2】亜洲現代美術館
夕刻からは完成記念パーティ。艶やかな紫色にライトアップされた美術館の前で、演奏会が一通り行われた後、劉先生が約10年にわたるプロジェクトの経緯をプレゼンテーション。いわば「思い出アルバム」がコンクリートの壁に次々とプロジェクションされていく。定点で撮影された動画には建設の様子が記録されており、早回しで見ると非常にわかりやすい。そして何と、筆者も入ったミーティング写真が登場【図3】。実は恥ずかしながらこの写真の記憶が全然無かったのだが、後で聞くと、2008年にNext Gene 21+プロジェクト2)のために訪台した際、亜洲現代美術館プロジェクトのミーティングに陪席していたそう。亜洲現代美術館プロジェクトの経緯について、劉先生が「十年苦鬥(A 10-Year Fight)」で著されている。
【図3】完成記念パーティ
滞在中、劉先生のバースディ・パーティが卒業生主催で行われた。台中に居ながら、北海道の幸が一杯の居酒屋。同窓会は何時も楽しいものだ【図4】。
【図4】劉先生のバースディ・パーティ
蛇窯
翌日から台中周辺を巡った。まずは台中の東南・南投県にある水里蛇窯陶芸文化園区へ。丁度、台湾の子供たちが遠足に来ていた。ここには日本統治時代の1927年に建てられた、台湾で最も古い蛇窯がある【図5】。蛇窯は、その名の通り、傾斜地に沿ってレンガを細長く並べた登り窯で、遠くから見ると蛇の形に見えることからこう呼ばれた。1999年9月21日の台湾中部地震で大きな被害を受けたが、1年後には再建。その記念として、高さが6mもある記念陶器が作られたそう。
【図5】蛇窯
日月潭に向けてドライブ。風光明媚で気持ちのいい場所。この辺りは、台湾の原住民が住む場所である。原住民の料理が味わえるレストラン「原住民餐庁」でランチしたのだがそこで一つ発見したことがあった。原住民餐庁と書かれた看板の英訳は「Aboriginal Restaurant」と書かれていた。「アボリジニ(aborigine)」はこれまでオーストラリアに住む原住民に対する限定的な用語だと思っていたので、オーストラリアの原住民料理?と少々戸惑った。どうやらオーストラリアに限らず、各地域の原住民という意味で広く使われているようだ。
鹿港
鹿港は台中の南西にある小さな町3)。彰化平野に位置する。200年ほど前、台湾で「一府(台湾府城が置かれた台南)、二鹿(鹿港)、三艋舺(今の台北市萬華=台北発祥の龍山寺付近)」と並び称せられた歴史都市。大通り・中山路を歩いて天后宮へ【図6】。
【図6】天后宮
清朝初期(1725年)に建立された道教のお寺。お参りしていると神様仕立ての男性二人が突然現る。黄色い服を着た男性は酒に酔ったふり?をして注目を集めていた【図7】。
【図7】神様?
お寺の中には、十干十二支別に、60体の神様がずらり。そして、今年(訪問した2013年は癸巳)に該当する神様は部屋の中央に置かれている。この時、筆者自身が生まれた十干十二支が中々思い出せなかったのだが、60年周期をヒントに辛亥(1971-60=1911年=辛亥革命)だと判明。探してみると、どうやら、【図8】の左側の方が、筆者の年の十干十二支(辛亥)の神様のよう。還暦を迎える2031年には、この部屋の中央に置かれるのであろう。その時にまたお会いしたいものだ。
【図8】辛亥の神様
鹿港古跡保存区は台湾で初めて古市街を保存した地区。それゆえ、ワクワクする路地(曲巷)が沢山残されている。くねくねとした路地は季節の砂風を防ぐ機能があり、冬でも難なく散策できる。古い家屋のいくつかは店舗やアトリエにリノベーションされている。露店で名物の海老団子、肉まん、タロ芋団子、冬瓜ジュースなどを順次調達しながらまち歩き。中でも、これは!という路地は、摸乳巷【図9】。
【図9】摸乳巷
非常に細い一本道の路地。路地の幅を測ると狭いところで僅か55cm。「摸乳巷」は「胸に触れる小道」という意味で、もし女の人とすれ違ったら胸に触れてしまうね、というほど狭かった!「摸乳巷」とダイレクトな名前を付けて問題ないのか?と思ったが、英語名でも「Breast Touching Lane」というそう。
王功
最終日は王功という漁村へ。鹿港よりも南に位置している王功は、鹿港よりもさらにのんびりした雰囲気だ。王功蚵(牡蠣)は特に有名で、王功の人々を描写した表現として「男は牡蠣を養殖し、女は牡蠣を剥ぐ」がある。
それにしても、こんなに広い遠浅の海は中々見たことない【図10】。
【図10】王功
みなさん潮干狩りにお出かけ。面白いのは、駐車場からトラクターのような乗り物で出かけていくこと。我々は遠くまでいけなかったが、正に、牡蠣、蛤、浅蜊、蟹の宝庫。片方の鋏が大きいカニ「シオマネキ」がウジャウジャ【図11】。バードウォッチングも有名なのだとか。
【図11】シオマネキの群れ
ローカル食堂での昼食は、牡蠣の卵とじ、牡蠣の唐揚げ、牡蠣のオムレツ、シャコの揚げ物など【図12】。港町のローカル・シーフード最高!
【図12】シャコの揚げ物&牡蠣の唐揚げ
【参考文献】
1.亜洲現代美術館 http://asiamodern.asia.edu.tw/
2.Next Gene 21+ http://www.next-gene20.com/
3.旅々台北.com鹿港特集 hhttp://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200803/index.html
3Dデジタルシティ by UC-win/Road
「台中」の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジ
「スパコンクラウド® CGムービーサービス」では、POV-Rayにより作成した高精細な動画ファイルを提供します。今回の3Dデジタルシティのレンダリングにも使用されており、スパコンの利用により高精細な動画ファイルの提供が可能です。また、POV-Rayを利用しているため、UC-win/Roadで出力後にスクリプトファイルをエディタ等で修正できます。
(Up&Coming '15 春の号掲載)