Vol.9 

近江八幡:奥行き
 大阪大学大学院准教授 福田 知弘
  プロフィール    1971年兵庫県加古川市生まれ。大阪大学准教授,博士(工学)。環境設計情報学が専門。CAADRIA(Computer Aided Architectural Design R esearch In Asia)国際学会 フェロー、日本建築学会 情報システム技術委員会 幹事、NPO法人もうひとつの旅クラブ 理事など。著書に、VRプレゼンテーションと新しい街づくり(共著)、はじめての環境デザイン学(共著)、夢のVR世紀(監修)など。ふくだぶろーぐは、http://fukudablog.hatenablog.com/

  はじめに    福田知弘氏による「建築と都市のブログ」の好評連載の第9回。今回も、福田氏がユーモアを交えて紹介する都市や建築。この3Dデジタルシティ・モデリングにフォーラムエイトVRサポートグループのスタッフがチャレンジします。どうぞ、お楽しみください。

風情が輝く地域

『近江八幡は飲んで騒いで楽しめる観光地ではありません。自然の恵みや先人達が創りだした風景や文化、今現在生活を営む人々が重なり合って醸し出す「風情」が輝く地域です。静かで小さな町に息づくこだわりや流れる時間を感じていただければ幸いです。』これは、近江八幡観光物産協会が提供する観光ガイドに書かれたメッセージだ。

近江商人発祥の地、W.M.ヴォーリズが活動の拠点とした地、日本で唯一淡水湖上の島で人が暮らす沖島がある滋賀県近江八幡市。小舟木エコ村、旧八幡地区空き町家調査、八幡酒蔵工房I期、八幡堀まつり、湖国グリーンツーリズム、VR安土城など、行政、企業、NPO、市民の方々とプロジェクトに関わらせて頂いた。

冒頭で紹介したメッセージは、当初、少々とっつきにくい感じがしたが、今となっては、近江八幡の奥行きを良く表しているように思う。近年は、交流人口が拡大している都市としても知られるが、観光地化は決して目指していない。

【図1】八幡堀

八幡掘

近江八幡市立図書館から旧八幡地区をボランティアガイドとまちあるき。重要伝統的建造物群保存地区である、八幡掘【図1】、新町通り【図2】、日牟礼八幡宮などを巡る。八幡掘を歩いていると、丁度、時代劇の撮影中であり、俳優さんに出会えた。

八幡堀は、近江八幡開町時、豊臣秀吉の甥・秀次が琵琶湖を往来する荷船を八幡に寄港させるために設けた堀。戦後、モータリゼーションの進展と幹線道路の整備にともない物資輸送は陸上交通へと移行され、かえりみられない存在になっていった。さらに生活排水の流入もあり、次第に悪臭を放つようになってしまったが、市民有志により堀の存続と浄化が実現された。近江八幡のまちづくりの原点である。

「八幡掘を守る会」は1988年に発足した。同会の目的は「地域住民の参加によって甦りつつある八幡堀を再び荒廃させることなく、歴史的遺構の景観保存と水質浄化を図り、かつての清流を蘇らせる活動を推進していくこと」である。全国の河川環境の市民によるまちづくり活動の原点にも位置づけられるものである。

【図2】新町通り

ボランティア作業で植えられた1500株の花菖蒲が咲きはじめであった。


竹林保全整備

竹林保全整備の現場へ。2005年に発足した八幡山を保全整備するボランティアグループ「八幡山の景観を良くする会(通称、八景会)」の兄弟グループとして「(一社)秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会(通称、八竹会)」が2016年に発足している。八幡山の山すそ、近江八幡市立図書館の裏手西側に広がる竹林は、これまで手入れが余り行き届かず荒れた風景になってしまっていたが、八竹会が整備することにより市民の憩いの場所にできたらとの思いで取り組みはじめられた。活動をはじめて1年半が過ぎた頃には、全体面積4000坪余の約30%程度が整備された。

参加した研修では、のこぎりやチェーンソーを使い、大竹の小枝落しや切り落とした竹の集約などを約1時間半かけて実施した。竹林に初めて入る学生がいたり、山に入ってみると思った以上に斜面がきつく移動に苦労したりしたが、貴重な経験となった【図3】。


ヴォーリズ建築

ハイド記念館は、メンソレータム創業者A.A.ハイドの夫人からの寄付により幼稚園の園舎として建設された。お隣の教育会館と共に、近江兄弟社学園の一施設として今も使われている。ロングスパンの木造梁。丁度、近江兄弟社のブラスバンドが演奏中。木造ゆえか、いい音色を聞かせて頂いた【図4】。

ヴォーリズ記念館は、ヴォーリズの自邸として使用された建物。木造の外壁、赤い瓦屋根、白い煙突を持つ、洗練された洋館である。

 
【図3】竹林整備研修 【図4】ハイド記念館

ヴォーリズ記念館は、ヴォーリズの自邸として使用された建物。木造の外壁、赤い瓦屋根、白い煙突を持つ、洗練された洋館である。

安土町では、旧伊庭家住宅。1913年(大正2年)、住友財閥の二代目総理事で別子銅山の公害問題を解決したことでも知られる伊庭貞剛の四男伊庭慎吉の邸宅として建設された。洋風の外観を持ちながら、畳敷の座敷など随所に和風建築の手法を取り入れてある。

2013年8月より、市民20人による旧伊庭家住宅利用団体「オレガノ」が結成されたことにより、常時公開されるようになった。当日はオレガノの取り組みを伺った後、旧伊庭家住宅の各部屋を丁寧に解説して頂いた【図5】。


水郷めぐり

織田信長が宮中の遊びをまねて楽しんだといわれる水郷めぐりへ【図6】。当日はたまたま、水郷めぐりの乗り場で粽作りイベントが行われていた。こちらの粽は餅を5枚のヨシの葉で巻くのだそう。6月頃のヨシは、大きさや硬さが程良いそうだ。乗舟前に作っておけば、舟から上がると蒸しあがった粽がお待ちかね。

水郷めぐりはとても静か。手漕ぎ舟にゆらゆらと約1時間乗せてもらうと、時代をタイムスリップした感覚に陥る。船頭さんの語りも最高。カモも悠々。


いもち送り

2007年、近江八幡市島町伝統の「ほんがら松明」は、老人クラブにより復活。この、松明の復活の模様は、長岡野亜監督と地域課題研究グループ「ひょうたんからKO-MA」によって、ドキュメンタリー映画「ほんがら」として作成された。筆者も完成上映会を島小学校体育館で観たが、中々感動モノだ。

島町のもうひとつの火祭りである「いもち送り」は継続されているものの、その内容は簡略化されてしまっていた。いもち送りは虫送りともいわれ、農作物の病害虫を追い払い五穀豊穣を願うための呪術行事。そこで、かつてのいもち送りの幻想的な情景を再現しようと、2009年6月に復活させる取り組みがなされた。村役員だけでなく、地主や耕作者たちが、暗闇の中で自分の水田の畦道に沿って松明をかざし、虫追いをした往時の情景を再現しようとしたもの。用意された松明は何と60本。

たまたま当日訪問していたこともあり、当初はこの復活の様子を「見学」させて頂く予定だったが、急きょ松明行列に「参加」することに。松明は3mほどの竹に麦わら、稲わらを巻きつけ、先端に菜種殻を付けたもの。大嶋奥津嶋神社の本殿前で移された火が松明に点灯される。松明自体かなり重たく、島町の端から端までを練り歩くのは中々大変だったが、又とない貴重な体験となった【図7】。

【図5】旧伊庭家住宅
【図6】水郷めぐり
【図7】いもち送り

権座

西の湖は琵琶湖最大の内湖。この辺りはかつて大小いくつもの内湖を形成しており、信長が安土城を築いた安土山もかつては岬のような形状で琵琶湖に面していた。しかしながら、戦後の干拓事業により西の湖以外はほとんど陸地化された。西の湖は、今でも生物の貴重な生息地であり、琵琶湖のラムサール条約湿地登録エリアとなっている。

権座(ごんざ)は、西の湖にぽっかりと浮かぶ島状の飛び地。飛び地はかつて沢山あったが、干拓により今は権座のみが残る。その希少性から、国選定重要文化的景観全国第一号(近江八幡の水郷)、にほんの里100選(白王・円山)にも選定されている。ここには1.5haの水田があり、今も田舟で農業機械や米を運びながら農が営まれている【図8】。

権座の地主や市民が集い、「権座・水郷を守り育てる会」が発足している。特筆すべき活動は2008年度からはじめた酒造り。これは幻の酒米「滋賀渡船6号」を権座で栽培し、喜多酒造さんに協力を仰ぎながら地酒「権座」を作るプロジェクト。ラベルは、手漉きのヨシ入り紙製で、ロゴのデザインは造形作家・藤田丈氏。

このプロジェクトの面白さは地元衆の地酒造りに加え、喜多酒造や既存酒販ルートなど通常のチャンネルとコラボしている点。参加メンバーが、それぞれの持ち味を活かし、既存チャンネルと連携することで持続可能性を生み出そうとしている。

【図8】権座

シャーレ水ヶ浜

ツアーの最後は、シャーレ水ヶ浜へ【図9,10】。「レマン湖のほとりにいるよう」といわれる、琵琶湖にせり出して建つ喫茶店。ここからの夕日は最高なので、天気の良い日は少々早めに訪問して席の確保を。

風も心地よく、ここで一日中仕事ができたら言うことなし!

【図9】シャーレ水ヶ浜 【図10】シャーレ水ヶ浜から眺める夕日

古いものの価値とは

高度経済成長期の荒波を乗り越えた、近江八幡の古いまちなみを残していきたいという想いがあるが、古いものに対する価値はどのように説明できるのだろうか。悩みは尽きない。

「まちもひとつの写真と同じだ。」自分たちの古い家族の写真を要らないから破り捨ててほかす(捨てる)人はあまりいないでしょう。大事にしまっておいて、たまに「これはあの時の・・・」と思い出に耽ることになると思います。都市もそう。共に歩いてきた。それを古いからといってほかすのか。なんとか残そうじゃないか。』これは、ブラジル・クリチバで長年都市計画に携わってきた中村ひとしさんの言葉。

単なる物見遊山では味わえない、近江八幡の奥行きを少しでも感じとって頂けたら幸いだ。




3Dデジタルシティ・近江八幡 by UC-win/Road
「近江八幡」の3Dデジタルシティ・モデリングにチャレンジ
UC-win/Roadによる3次元VR(バーチャル・リアリティ)モデルを作成したものです。近江商人の発祥の地であり、商業都市として発展した近江八幡のまちなみを再現しました。歴史ある建物の多い近江八幡でも、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、ひときわ近世のたたずまいが残る「新町通り」、市民運動により浄化された八幡堀、町家をリノベーションした「尾賀商店」は2F内部の落ち着いた空間のモデルも作成しました。また西の湖に浮かぶ、現在では希少な島状の飛び地「権座(ごんざ)」など美しくなつかしい風景の中で、穏やかな時間の流れが感じられる水郷めぐりの情景など、風情と情緒あふれる水郷近江八幡をリアルに表現しています。

 
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(Up&Coming '11 新年号掲載)
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