vol.22
スポーツ文化評論家 玉木 正之(たまき まさゆき)
プロフィール
1952年京都市生。東京大学教養学部中退。在籍中よりスポーツ、音楽、演劇、 映画に関する評論執筆活動を開始。小説も発表。『京都祇園遁走曲』はNHKでドラマ化。静岡文化芸術大学、石巻専修大学、日本福祉大学で客員教授、神奈川大学、立教大学大学院、筑波大学大学院で非常勤講師を務める。主著は『スポーツとは何か』『ベートーヴェンの交響曲』『マーラーの交響曲』(講談社現代新書)『彼らの奇蹟-傑作スポーツ・アンソロジー』『9回裏2死満塁-素晴らしき日本野球』(新潮文庫)など。2018年9月に最新刊R・ホワイティング著『ふたつのオリンピック』(KADOKAWA)を翻訳出版。TBS『ひるおび!』テレビ朝日『ワイドスクランブル』BSフジ『プライム・ニュース』フジテレビ『グッディ!』NHK『ニュース深読み』など数多くのテレビ・ラジオの番組でコメンテイターも務めるほか、毎週月曜午後5-6時ネットTV『ニューズ・オプエド』のMCを務める。2020年2月末に最新刊『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂)を出版。
公式ホームページは『Camerata de Tamaki(カメラータ・ディ・タマキ)』
全日本柔道連盟が新たに始めた「高校文武両道杯」は、スポーツに対する見方を考え直させる。
改めて思い出すべきは、「アスリートは頭が良い」という明治時代以来の「伝統」だ。
昨年12月のスポーツの話題はカタールで開催されたサッカー・ワールドカップで、世界中が大いに盛りあがった。日本代表チームも強豪国のドイツとスペインを倒し、クロアチアに惜しくも1対1のPK戦で敗れたとはいえ、にわかサッカー・ファンが急増。アルゼンチン対フランスの決勝戦延長3対3の大熱戦にも多くの人が大興奮し、PK戦でのアルゼンチンの勝利とスーパースター・メッシ選手の活躍に多くの人が感激した。
その大熱戦が行われたのと同じ12月18日。日本でまったく誰にも注目されなかった(もちろんマスコミにも完全に無視された)が、少々話題にしたくなるスポーツ・イベントが行われていた。
それは『第4回文武両道杯全国高校柔道大会』。そんな大会が存在することは、私も知らなかった。が、柔道家で日本女子体育大学教授の溝口紀子さん(アトランタ五輪の銀メダリスト)に教わって知った。これは全柔連(全日本柔道連盟)会長で、JOC(日本オリンピック委員会)会長でもある山下泰裕氏が力を入れて開催した大会で、2020年3月の第1回大会以来3大会連続コロナ禍で中止。4回目にようやく初開催に漕ぎ着けたのだった。
大会の名称からもわかるとおり、また大会規約にも明記されているとおり、この大会は《全国の高校のなかから、柔道部活動を通じて文武両道を実践する高校を招待する大会》で、国立大学や有名私立大学への進学者が多い高校しか招待されず(参加できず)、有名私立大学への進学が内定される系列高校も招待校(参加校)からは外されている。
ちなみに男子29校女子6校の参加校として、次の高校が選ばれた。日比谷、筑波大付属、世田谷学園、城北、本郷、海城(以上東京)、逗子開成、浅野、栄光学園(以上神奈川)、新潟、新発田(以上新潟)、浦和、川越(以上埼玉)、灘、白陵(以上兵庫)、浜松西、浜松北(以上静岡)、筑紫丘、久留米大付属(以上福岡)、北嶺(北海道)、盛岡第一(岩手)、上田(長野)、宇都宮+栃木農業(栃木)、高崎+太田(群馬)、東海(愛知)、高田(三重)、西大和学園(奈良)、星光(大阪)、長崎東(長崎)、ラサール(鹿児島)。
こうして並んだ学校名は、何やら「国立大合格者出身高校リスト」を見るようだが、そもそも柔道の創始者である嘉納治五郎は、兵庫の灘の清酒「菊正宗」の樽元の御曹司で、官立外国語学校(現在の東京外語大学)で英語と独語を習得したあと東京大学に進み、政治学と理財学(経済学)を学んだ明治の超エリート。
進学校として有名な灘高校の設立にも関わり(同校に銅像がある)、1912年のストックホルム五輪への日本初のオリンピック出場や、戦前1940年の東京五輪招致にも尽力した。それは戦争のため返上となったが、その間オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵とは何度も英語で書簡を交わすほどの知識人だったのだ。
そんな日本柔道の「伝統」を引き継ごうとして、また復活させようとして、あるいは嘉納治五郎の功績を思い出し、広めようとして、山下会長が特に力を入れて開催したのが、この「文武両道杯」というわけなのだ。
大会は各校男子5名、女子3名の団体戦。結果は男子優勝が長崎東高校、2位浜松西高校、3位大阪星光学園、4位白陵高校。女子は優勝が盛岡第一高校、2位新発田高校、3位新潟高校、4位上田高校となった。が、結果以上に注目すべきは、やはり開催意図で、「アスリートはスポーツだけをやればいいのではない!」というメッセージだろう。
そもそも日本で欧米からスポーツを取り入れたのは、大学や旧制高校や師範学校(嘉納治五郎も学長を務めた教師養成学校)が中心で、明治以降スポーツ界で活躍したアスリートは大学卒業の高学歴エリートが多かった。
1924年アントワープ五輪で日本人初のオリンピック・メダル獲得者(テニス・シングルス銀)となった熊谷一弥選手は、慶応大卒で三菱商事のニューヨーク支局勤務のエリートだったし、彼とペアを組んでダブルス銀メダルを獲得した柏尾誠一郎は東京高等商業(現在の一橋大学)卒業後三井物産に入社。ニューヨーク勤務のこれまた超エリートだった。
そのような「アスリートの伝統」が、いつの間にかスポーツマンは「脳ミソまで筋肉」などと言われるようになったのは何故か? 何がきっかけでそうなったのか? 詳細は不明だが、戦後、戦地から引き揚げた兵士の結構多くが体育教師になり、軍隊式の体罰を伴う命令服従式の体育教育が、多くの学校スポーツに取り入れられたのがキッカケになったとの指摘もある。
そんな「誤った伝統」が蔓延し、最近もスポーツの指導者による酷い体罰事件や暴力事件が表沙汰になることがある。が、「文武両道」は、そんな「誤った伝統」から脱却するメッセージでもあるはずだ。
じっさい最近は、先に紹介した溝口紀子さんのように埼玉大学から東京大学大学院に進み、フランスの女子柔道代表チームのコーチを務め、静岡県教育委員会の委員を務めた人物もいれば、世界選手権で3度優勝し東京五輪代表候補だった朝比奈沙羅さんのように、獨協医科大学医学部に進学し、医者を目指している人物もいる。
もちろん柔道以外でも、元阪神タイガース投手の奥村武弘氏や、元プロ・キックボクサー守谷拓郎氏のように、プロ・アスリートを引退したあと国家試験に挑戦して合格。公認会計士として活躍している人物もいる。また元Jリーガーだった八十祐治氏は、プロ・サッカー選手を引退してから猛勉強して司法試験に合格。大阪弁護士会所属の弁護士として活躍している。
そう言えば、最近引退した車いすテニスの世界王者の国枝慎吾氏は、スポンサーであるファーストリテイリング(ユニクロ)の代表会長兼社長である柳井正氏が引退会見で、「一流選手は頭がいい。なかでも国枝選手はずば抜けている。経営の才能がある」とベタ褒め。彼には是非とも「日本のスポーツ界の経営」に携わってほしいと思うのは、私だけではないだろう。日本のスポーツは、もはや政治家や広告代理店が経営する時代ではなく、アスリート自身が運営するべき時代だから。
(Up&Coming '23 春の号掲載)