このような地形は長い年月の中で自然に形成された箇所もありそうですが、そのほとんどが江戸時代から昭和の戦前頃までに進められてきた新田開発のための川廻しです。蛇行河川の巾着部をカットし、旧川を田んぼにしてゆく地域の切なる要請によるものです。この工事は最小限の断面でトンネルを掘って流路を変える方法が主流だったようです(作業員が自分の背丈に見合った最小限の幅二尺、高さ五尺の“二五穴”と呼ばれている)。ただその後、トンネル上部が風化、浸食作用により上面が青天井の状態になった箇所もあります。
もっとも、戦後の高度成長期になると、河川の治水対策として、蛇行河川の曲流部を直流化し、洪水の流下能力を増し、上流の浸水被害を軽減する手法が各地で取り入られてきています(その際、下流側の洪水被害対策も同時に考慮しなければなりません)。
このような川廻しは、房総半島特有の事例のようで他の県では余り実施例を聞いたことがありません。その理由については、当地の地形、地質の特性によるとされています。房総半島は数百万年前は深い海の中にあって、その後海洋プレートの潜り込むことによる急激な隆起活動によって現在の房総半島に陸地化したと推測されています。そのため地層の固結度もゆるく、丘陵地帯を流下する川による浸食作用が極めて大きい地域になっており、そのことが、川の蛇行も激しくなると同時に川崖にトンネルを穿つなどの人力による短絡工事も可能にするメリットも生まれてきたわけです。
さらに付け加えれば、川崖に軟岩の層が主の地層が連なっている状況となっていることは、現代の我々が、数百万年~数十万年前の地層を陸上で直に観察できるという機会を与えてくれたということにもなるわけです。
昨今話題のチバニアンは77万年前の地磁気逆転時の海底堆積層が陸上で観察できるという世界中でも極めて稀な場所として養老川中流部の川崖が選ばれたことに繫がっています。
そのチバニアンが白尾の川廻し箇所と隣り合わせの場所にあるということは、何の偶然でもありません。
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