連載 vol.8
SEOとはなんだったのか
—これからのインターネット検索との関わりを考える
みるめも(https://mirumi.me)というブログをやっている みるみ といいます。本業はソフトウェアエンジニアで、毎日プログラムかブログを書いている…という人間です。しばらくの間、IT 技術を中心に幅広いネタで寄稿させていただくこととなりました。どうぞよろしくお願いいたします。
インターネットにおける代表的な行為のひとつに「ググる」がありました。ホームページやブログにはじまり、企業の公式サイトやショッピングサイト、そのほかありとあらゆるサービスがウェブで提供されるようになった状況からしても、インターネットとその検索という概念が密接な関係であったことがわかります。
ここで重要になるのがSEO(検索エンジン最適化)です。SEOとは、Googleなどの検索結果一覧においてなるべく高い順位(画面の上のほう)に掲載されるよう取り組む一連の行為を指す言葉です。
ある検索ワードで自社製品が1位に表示されるのか5位に表示されるのかで売上に差が出るであろうことは想像できると思います(実際にはみなさんが想像している以上の歴然とした差が出ます(※1))。当然、自分のサイトを検索エンジン上で上位に表示させたいというニーズが出てくるわけですね。
SEOには数々のドラマがあり、そしてまさにウェブの変遷そのものであったと筆者は思っています。今回はこれらについて現状の自分の考えをまとめてみるテーマとしてみました。ゆえに今月号は筆者個人の意見が多く入っているものになりますが、ご興味あればぜひお付き合いください。
※1 2025年の調査データとして「検索順位1位はクリック率39.8%、5位だと5.1%」という結果があります。
参考:https://firstpagesage.com/reports/google-click-through-rates-ctrs-by-ranking-position/
SEOとインターネット検索
例えば3ヶ月後にクロアチアへの旅行を控えているとします。飛行機のチケットもまだ持っていません。このときおそらく多くの人が漠然と「クロアチア 飛行機 チケット」などのようなワードで検索を行うでしょう。通常、ユーザーは検索結果の一覧を上から順番に見ていきますから、当然上にあればあるほど収益機会は多くなります。もしあなたが旅行サイトの経営者なら、いかに「クロアチア 飛行機 チケット」という検索ワードで上位表示させたいかがわかるでしょう。
広告も忘れてはなりません。自分自身が事業を持っていなくても、ある商品やサービスを紹介することでそのインセンティブを受け取れることがあります。この場合も、同じく自分のサイトがいかに多くの人に読んでもらえるかが重要であるという点で事業主と同レベルの重要性があります。いえ、むしろ広告収入以外の収益源を持たないケースがほとんどであることを考慮すると、広告掲載者のほうがよりSEOに執念を燃やしていたといえるかもしれません。
実際、上記のようなサイト運営者のうちいくらかの人々は、ウェブ上の利便性や品位を下げる広告ともどもよく槍玉に挙げられました。正しくて有用な情報をもとに意義のある商品紹介がなされていれば広告報酬が支払われることにはなんの不満もない、というのが民衆心理の建て前ではありましたが、「広告を貼っているだけで他人が稼いでいるのが我慢できない」という人も少なくなく、やはり常に言い争いが絶えない状況だったのです。
SEOは常にこのような側面を持っていました。もっといえば、「なんとか楽をして(上位表示をして)稼ぎたい」という人々がプラットフォームをハックする、そして検索エンジンがそのハックの対策を行い、副作用として普段インターネット検索を使っている我々がどんどん不便を被る、という悪循環です。
数年前と比べてGoogle検索の結果はどんどん満足できないものに変わってきているのをみなさんも実感しているのではないでしょうか。本来は多くの人が便利な情報により簡単にアクセスできるようにするためのものだったはずですが、いつしかその役割を全うできなくなるほどのところにまで来てしまいました。
検索順位が決まるアルゴリズムは公表されておらず、かつ定期的にアップデートされるため、そのときどきに応じて適切な対策を施していくということが本来のSEOだったわけですが、次からの項で述べるように、その歴史はどうにも本質的なものだったとは言いにくいです。
これまでに見られたSEOテクニック
ここではSEOの基本的な考え方をご紹介するがてら、インターネット黎明期くらいにまで遡って、過去にどのようなSEOテクニックがあったのかをいくつかピックアップしてみることとします。
見えないようにキーワードをたくさん詰め込む
初期の検索エンジンは単純でしたから、ユーザーが検索したワードにたくさんヒットしていればそれだけその記事がマッチしていると扱われました。そしてそれはユーザーに見えていなくとも関係がありませんでした。白い背景に白い文字で「クロアチア 飛行機 チケット」というようなキーワードを大量に書いたり画面外の見えないところにたくさん配置したりするという、およそ冗談のようなテクニックが実際に効果をもたらしたのです。
現代でこのようなつまらないことを行うと、サイトが検索結果にほぼ表示されなくなってしまうことがあるので十分に注意してください。
コンテンツの自動生成と大量のバックリンク
Googleの創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンがスタンフォード大学在学中の1998年に発表した「The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine (※2)」という論文があります。この論文には「優れたコンテンツは自然と多数のリンクを集めるはずだ、それはまるで優れた学術論文がたくさんの引用を集めるのと同じように」とあります(筆者意訳)。
検索エンジンの基本理念は今も昔もここに根ざしており、「より権威のある信頼性の高いページ(ドメイン)から自然なリンクがたくさんあるほど有益なページであるとみなされる」というのはSEOに関わったことのある人間なら誰でも知っている事実となりました。
しかし昔の検索エンジンは作為的なリンクを見破る能力もまだ十分に備わっていなかったため、自動生成された文章中に含まれるバックリンク(検索順位を上げたいサイトへのリンク)を適当に散らしておくだけで一定の効果がありました。
ここでいうところの「文章の自動生成」というのもまた面白いポイントです。いまでこそLLMが登場して何も驚かない技術になりましたが、数年前はまともに読める日本語すら出力させることはできませんでした。ではこの時代の自動生成はどうやっていたかというと… なんと適当な単語を適当な順番でランダムに繋げただけの滅茶苦茶な出力です。このような文章は「ワードサラダ」と呼ばれ、バックリンクを貼るためだけのサイトは「サテライトサイト」などと呼ばれていました。
中古ドメインの大量購入
ウェブサイトのURLのうち、最初の「google.com」などの部分をドメインといいます(※3)。ドメインの取得にはいくつかの手順があり、この手順を経ていれば(「ドメインを持っている」と呼ばれる状態)、そのサイトの正当な制御権を持っていることの証明になります。筆者はどうやってもgoogle.com配下にあるサイトの内容を書き換えることはできませんが、Googleには可能という具合ですね。そして最後に重要な点として、Googleなどの検索エンジンはサイトの評価をドメインごとに管理しています。サイトごとではありません。
ある組織が事業やサービスを閉鎖するとき、ほとんどの場合において関連するウェブサイトもあわせてクローズします。もしサイトの閉鎖にあわせてドメインも契約が解除された場合、そのドメインはまた誰でも取得できる状態に戻るので、このタイミングを狙って解放されたドメイン(中古ドメイン)を自分のものにしてしまおうというのがこのテクニックです。
検索エンジンはそのドメインを使用している事業者が真に変わったのかは判別できません。しかしサイトの評価はドメインごとに管理しているわけですから、高い順位を持っていたドメインを中古で買い、そこに自分のサイトを載せ替えてしまえば労せずしてリターンを得ることができそうです。
また、ひとつ前の項で「より権威のある信頼性の高いドメインから自然なリンクを集めたい」ニーズがあるという話をしました。つまりは、中古ドメインをも大量購入して自分のサイトへのサテライトサイトにしてしまおうという手法があったことを意味します。
ところがこうなるともう金銭力の勝負でしかなく、なんとひとつ数百万円もするようなドメインも珍しくありませんでした。しかしそれだけのお金を払ったとしてもその中古ドメインに効果があることは全く保証されておらず、このような非本質的なSEO戦争がいかに消耗戦であったかを思い知らせてくれます。
※3 URLの構造について詳しい仕様が知りたい方はこちらをどうぞ。
https://developer.mozilla.org/en-US/docs/Learn_web_development/Howto/Web_mechanics/What_is_a_URL
近年の傾向
上述したような表面的なハックが軒並み対策されたことで、サイト運営者はようやく気づきはじめます。「検索順位を上げたいなら本当に役立つユーザーのためのコンテンツをちゃんと作るしかない」と。
しかしこれは結局よい方向に向かいませんでした(少なくとも筆者はそう思っています)。空前のブログブームや企業のオウンドメディアの流行などもあり、有象無象のサイトが現れて「よいコンテンツをつくろう!」となったわけですが、果たしてこれまでサイト運営などやったことのない人々が急に良質なコンテンツを生産できるでしょうか?結果として生まれたのは、「間違ったことは書いていないがありきたりな内容ばかりでどうにも役に立った気がしない」というページばかりです。これはみなさんも過去の経験で思い当たる節がいくつもあるでしょう。
もちろん、この話には多くの例外があります。思わずブックマークしておきたくなるような示唆に富んだ記事もあれば、読むだけで自分の人生観に影響を与えてしまうような素晴らしい文章を目にしたこともあるでしょう。しかしなんと悲しいことか、日常生活で検索するワードでこのようなページに出会えることはごくごく稀です。「多くの人にマッチする無難なもの」ではないコンテンツは現代のSEOではあまり優遇されないからです。かわりに、このような記事はおそらくSNSからのシェアなどが有力な発見経路になっていることでしょう(※4)。
一般の人々がインターネット検索に期待する内容もおそらく変わってきています。「本当に知りたい生の情報」はSNSで検索しよう、という流れはもういまに始まったことはないですし(もちろんSNSも情報選別は必須ではありますが)、調べ物はまずYouTubeから、というのもよく聞くアプローチですよね。
このように、私たちとインターネット検索との関わりはウェブ全体の変化に応じて多種多様な姿をとってきました。そして今また、これまでにないほどの大きな転換点がやってきているのです。
ついに検索をしなくなる時代がやってきた? ~LLMの登場~
従来の検索エンジンでは、自分がよく知らないものについて正しい理解を得ようとする行為は非常にハードルの高いものでした。知りたいことが一文で表せるような内容ではない場合、まず自分でその問題を適切な粒度に分解し、それらひとつひとつについて情報を精査しながら検索していく必要があります。そしてその過程で閲覧することになるサイトの大半は、前述してきたように真に役立つものかは疑問が残る状態でした。
ここで現れたのが、これまでの人類のナレッジを見事に集約したLLM(AI)です。未知の事柄に対してサマリーを知りたいフェーズというのはどうにも生産性が低くもどかしい時間でしたが、そのような調査作業はほぼ完全に省力化されたなと強く実感しています。
こうなってしまうと、いよいよ検索エンジンを使う頻度は激減してきそうです。ちょうどLLMについては本連載の2号前の記事でも扱っており(※5)、インターネット検索とLLMはどう使い分けるべきか?という内容にも触れていましたが、筆者はChatGPTがリリースされて以降、google.comへのアクセス数はなんと10分の1ほどにまで低下していました(※6)。
※4 実際のところ、検索順位の評価にはSNSでのシェア量、流入数、拡散スピードなども使われていると考えられています。バズった記事や速報ニュースなどが適当に検索してもすぐヒットするのはこれらのおかげで、しばらく経つと同じ検索ワードでも急激に効力を失ったりします。
※5 Vol.6(No.147 '24 秋の号)をご参照ください。
※6 自分が利用しているブラウザ上でドメインごとのアクセス履歴をたまに集計しているのですが、1ヶ月ベースで見たときのgoogle.comへのアクセス数はChatGPTリリース前の平均でおよそ5,000~6,000程度、最近ではちょうど500~600程度でした(実際の検索数とイコールではないことに留意してください)。
とはいえ「知りたいことが素早く確実に知れる」ということを喜ぶフェーズはすぐに終わり、もう間もなく「知らないことがあるのはおかしい、なぜAIに聞かないのか?」と言われる時代が来るのではと筆者は思っています。「ググれカス」というひどい言葉がありますが、これはそのうち「AIに聞け」という趣旨の言葉に変わっていくのかもしれません。
まさにこれも「テクノロジーの進化がインターネット検索に与える影響」のこれ以上ない例といえるでしょう。
SEOは終わったのか?
実は今月号のタイトルは過去形になっていました。「SEOとはなんだったのか」の部分ですね。この表現は「SEOはすでに終わったものであり、過去のものとなってしまったのか?」というニュアンスを多分に含みますが、これについては(いろいろな前提条件をつけたうえで)かなりの確度でYesだと筆者は捉えています。
前半でいくつか例をお伝えしたように、SEOはシステムのハックのような側面がわりと大きく、それによって度重なる検索エンジンのコアアルゴリズムアップデートもあり、ここ数年は「本質的な施策などほとんど存在せず非現実的である」という見解すらわりと一般的になってきてしまいました。このような状況下で、ましてや潤沢な資金もない個人ができる小手先のテクニックなどおよそ意味を持ちません。
であれば、インターネット検索からの流入などは気にせず、自分が書きたいことだけを書いていくというWeb1.0の時代からの考え方こそ今後のウェブに求められていくものではないでしょうか。そしてそれこそが、AIに取って代わられない人間たる価値を示すことができる大きな礎になっていくのだと確信しています。
(執筆:みるみ)
(Up&Coming '25 春の号掲載)
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