ホーチミンへ
ベトナムは、インドシナ半島の東南端に位置し、国土はS字状で、南北の長さは1650qにも及ぶ。中国、ラオス、カンボジアと国境を接する。面積は32.9万km2、人口は9370万人。主要民族はキン族(越人)であり、他に53の少数民族で構成される。ベトナムの南部に位置するホーチミン市は、ベトナム経済の中心地であり、人口は842万人。
通貨はドン。貨幣の桁が大きい(写真1)。レストランを物色中に、ランチは「わずか29.9万ドン(日本円で1500円)」、カフェで「10万ドン(同、500円)」といわれるとその額の大きさにドキッとする。
以前、ベトナムに訪問したのは10年前(訪問先はハノイ)。この頃、バイクに乗車する時のヘルメット着用が義務付けられた。そのため道路脇には、お祭りや縁日の屋台で並んでいるお面のように、ピカピカのヘルメットが壁に張り巡らされていた。という訳で、ベトナムは久しぶりである。
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1 ランチはわずか29.9万ドン! |
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バイクの洪水
ホーチミンの生活の足はバイク(写真2)。それはものすごい数である。信号が赤になると、停止線には、まるでレースの始まりを待つかのごとく、軽く50台は並ぶ。信号が青になれば、凄まじいエンジン音の合唱がはじまり、一斉にゴーである。ホンダ、ヤマハ、スズキと日本企業のものが多いが、シートが長く、二人乗りの仕様になっている。カップル、子供連れ(大人二人に加えて、追加で子供1人まで基本的に乗車可)、大きな荷物を載せての運転、中には、多くの鶏が入った籠が載せられたものなど乗り方は多様であった。
排気量は、二人乗りということもあって、日本の原付のような50ccではなく、125ccや150ccとなっている。現地の学生に聞いたら、彼はバイクに乗って郊外から40分運転して大学に通っているそうだ。そういわれると、筆者自身も学生の頃、原付で20q超の道のりを40〜50分ほどかけてアルバイトに通っていた。長時間乗っていると、原付に乗るポーズを解きほぐすのに結構時間がかかったことを思い出す。今、彼らもそうかもしれない。
ベトナムコーヒー
意外に思われるかもしれないが、コーヒーの生産量を世界の国別でみると、ベトナムは世界第2位である。第1位はブラジル、第3位はコロンビア、以下、インドネシア、エチオピアと続く。コーヒーの品種は主に、アラビカ種とロブスタ種であり、ベトナムではロブスタ種が多く栽培されている。お馴染みのブルーマウンテン、エメラルドマウンテン、モカ、キリマンジャロなどはアラビカ種である。一方、ロブスタ種は苦みが強く渋みがあるが、低高度で栽培も容易とされる。そのため、インスタントコーヒーやコーヒー原料などに使われている。なので、ベトナムコーヒーの名前は目立ちにくいのかもしれない。
現地で採れるものは現地で頂きたい。そこで、ブラックコーヒーとホワイトコーヒーの両方を飲んでみた。ブラックコーヒーは、確かに日頃飲むブラックコーヒー(アラビカ種)とは違って苦かったが、風味がしっかりしていて、嫌ではなかった。しかし、アラビカ種の方が個人的には好みである。アラビカ種をずっと飲み続けたためなのかもしれないのだが。一方、ホワイトコーヒーは、注文してから中々出てこず、コーヒーとミルクの収穫にでも行かれたのかと思ったが(笑)、ようやく出てきた(写真3)。結構時間をかけて作るものらしい。器の中には、コンデンスミルク(練乳)が入っており、珍しい甘さではあったが、嫌な味ではなかった。しかし、やはりカプチーノの方が好みである。これもやはり慣れが影響しているかもしれない。 |
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3 ベトナムコーヒー |
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テクニカルツアー
ホーチミンでは、ベトナム初の地下鉄工事が進行中している(写真8)。都心部と市の東北部を結び、総延長は19.7q。日本の各企業は、地下鉄工事だけでなく、地下鉄の運営も支援している。
ホーチミン水上バスが、昨年から運行開始した(写真9)。これは、観光目的ではなく、交通システム整備および市民の利便性向上のためである。市内中心部・バクダン船着場からサイゴン川を遡り、トゥードゥック区までの10.8qを約30分で結んでいる。75人乗りの船は真新しく、清潔であった。観光的には、行った先のスポットや交通手段がないことが課題であろう。
戦争証跡博物館
テクニカルツアーを終えて、ホテル近くにあった戦争証跡博物館を訪問した(写真10)。ここは、ベトナム戦争の歴史に関する博物館である。衝撃的な展示である。建物内部には、大量の写真や砲弾、銃器、毒ガスマスクなどの遺物が展示されている。日本人カメラマンも命がけで取材していたことを知った。屋外には、戦闘機、輸送ヘリ、戦車、大砲、爆弾などの遺物の他に、コンソン島刑務所の牢獄を復元した空間もある。衝撃的であり、戦争の愚かさを改めて思い知らされる。
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10 戦争証跡博物館 |
筆者にとって、ベトナム戦争は、地理的にも時間的にも遠く離れたところで起こった出来事であり、残された資料や映画でしか知ることができない。すなわち、仮想体験する程度は限られている。当たり前ながら、実体験したいわけではない。が、この博物館を訪問して、沢山の写真や遺物を眺めていると、それほど遠くない出来事であることを強く実感した。いや、実感してしまった。この、感覚が敏感になっているのは、最近、わが国で自然災害が身近にそして続けざまに行っていることも無関係ではないように思える。
王の法律も村の垣根まで
最終日には、ホーチミン建築大学(University of Architecture Ho Chi Minh)でパブリック・レクチャーをさせて頂いた(写真11)。日曜日にも関わらず、若手の研究者、学生、実務者が集まってくれた。BIM、VR/AR、スマートシティなど三次元デジタル技術への取り組みはベトナムでも注目されていると肌で感じた。
ディスカッションタイムのルールは特に決めてはいなかったが、論文発表での質疑応答のようなデフェンシブな質問対応は意図せず、時間も内心ではエンドレスとしていたのだが、結局1時間ほど続いた。日本や他のアジアの国々ではよく見られる光景だが、筆者のプレゼン後しばらくの間、質問は出てこなかった。そこで、ベトナム語で質問しても構わないとアナウンスすると、質問が積極的に具体的に出された次第である。何より失礼ながら、当初思っていたよりも、BIM、VR、IoTなど、技術用語を知っているだけでなく、現地の人たちが実際に取り組んでいる様子も窺えた。
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タイトルで紹介した「王の法律も村の垣根まで」とは、「王が定めた法も村落の秩序には及ばない」という意味のことわざであり、ベトナムが強固なムラ社会であることを意味している。言い換えれば、内輪のコミュニティは強固で濃密であり、ボトムアップ型での取り組みが期待できそうだ。ベトナムは平均年齢が30歳と若い(日本は47歳)。近い将来、高齢化が急速に進むとも言われているが、彼らの発展に期待したい。
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11 ホーチミン建築大学でのパブリック・レクチャー |
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